【第871回】 物と心の始まりいぬい

合気道は主に手で技を掛けるわけだが、この手のつかい方が難しい。掴まれた手や打ち込まれた手をどのようにつかうかである。肉体的な稽古をしている段階では、手のつかい方など気にならないものである。そして肉体的な力で何とかしようとする。その内、己の力の限界を感じ、何とかしなければならないと思うようになる。自分が経験してきたことなのでよくわかる。多くの先輩や稽古仲間が同じ経験をし、悩んでいた事、いる事を見ている。

手のつかい方が難しいと思うようになったら、合気道が大分精進した事になったと云えるだろう。そしてここから新たな段階の稽古に入れると考える。
私の場合は合気道を始めてようやく50,60年にして、手のつかい方の難しさが分かり、どうすればいいのかを研究することになるわけである。
勿論、これまでも手のつかい方はいろいろ研究してきた。○先ず、手・腕を鍛える事、○手と腹を結んで腹で手をつかう事、○息で手をつかう事、○手に気を満たし、気で手をつかう事、○仙骨をつかい体の表(背中)に気を流し、背中と胸と共に手をつかう事、つまり胸と背中の一部として手をつかう事である。

これで多少強く掴まれようが、打たれようが相手の攻撃を捌く事が出来るようになったが、まだ、不完全であり、何かが欠けているのが分かる。それは相手の攻撃で、手と手が接する瞬間である。相手と触れた瞬間に相手と一つにならなければならないわけだが、それが上手く出来なかったのである。相手と一つ、一体とならなければ、相手は相手で勝手に動く事ができるので、こちらの思うようには動いてくれない。相手は頑張ろうと思えば頑張れるわけだから争うことになり、合気道にならない。

そこでどうすれば、触れた瞬間に相手と結び、一体化できるかを研究することになるわけだが、なかなかその解答は見つからず、解答を見つけるまで数か月を要した。答えが分かるともっと早く、容易にそれを見つけることができたのにと思うが、何が何だか分からない状況で答えを見つけるという事はそう言う事なのだろう。所謂、コロンブスの卵というやつである。
しかし、お陰で新たな発見もあった。それは合気道の問題解決は頭だけではだめで、体が解決に導いてくれるという事である。

さて、相手と触れた瞬間に相手と一体化するためにどのようにすればいいかと云う事であるが、これも大先生の教えにあったのである。それも以前に気づいており、論文(第839回「うぶす」の社(やしろ)の構え)や(合気道の体をつくるの第868回三位一体と「うぶす」の社の構え)にも取り上げていたものである。要は、この論文テーマを更に深めればいいということである。
結論を云えば、ポイントは“物と心の始まりは乾(いぬい)”である。乾とは西北であるが、大先生はこの乾が物と心の始まりであると教えておられるのである。
西北(乾)と西と東北(艮)で三位一体の「うぶすの社の構え」をすると、乾に面する腹と前の手がしっかり結ぶ。これまでのただ腹と結んだ手より強力だし、結びつける引力も強い。また、この「うぶすの社の構え」は天の浮橋に立つ姿である。大先生が仕事をする際(技をつかう際)は天の浮橋に立たなければならないといわれていたのはこの事であろうと実感する。
また、三位一体の「うぶすの社の構え」から右足を国之常立神で踏むと、乾にある腹が右足に対して十字になり、手が腹の前に来て腹の前の正中線を動くようになる。動くのは無意識で自由である。これを魂の働きであるように感じる。
技はこの三位一体の「うぶすの社の構え」の乾から始めなければならないということである。つまり、乾の面から動かすということである。体(もの)と心、魄と魂を働かすということである。正面打ち一教でも片手取り呼吸法でも乾から始めるのである。

乾の面から動かし、これで技と体を練っていけば、合気道の手を上手くつかえるようになると考えている。