【第839回】 「うぶす」の社(やしろ)の構え

合気道を始めて早や半世紀以上になるが、合気道をつくられた大先生の教えに従って修業をするように心がけている。過っての大先生の言葉、道話、技や立ち振る舞いなどを思い出したり、大先生が書かれたり、お話されたことをまとめた『武産合気』『合気神髄』の教えに従い、また、それに反しないように注意しながら修業を続けているつもりである。
従って、新しく身に付いていく技や思想・考えは、大先生の教えによるものである。故に、大先生の教えがなければ、これまで身につけたものなどないはずである。よほどの天才であり、実行性があれば自分で見つけることもできるだろうが、私にはそれがないので、大先生が自ら努力されて得られた教えを修業しているわけである。例えば、宇宙と人間は同じであるとか、天地の気と呼吸に合わせて人も呼吸しなければならないとか、宇宙の営みを形にしたものが合気道の技であるとか、宇宙の法則に合して技をつかわなければならないとか、合気道の技は布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊でつかわなければならないとか等々である。このようなことは我々凡人の稽古人には思いもよらないものである。

これまでの稽古は、主に大先生の教えを頭と体で理解して身につけ、それを積み重ねてきているわけだが、最近、この逆の事が起こったのである。
それは、相対の稽古で己の手が相手の手にくっつき、相手を結構自在に動かし、そして投げたり、抑えることが出来るようになったことである。いつやっても、誰に対しても出来るようなので、ここには何か法則があるはずだし、もしそうだとすれば、これに関する大先生の教えがあるのではないかと思ったのである。もし大先生がこれに関して何も教えておられないとすれば、これは天才的な発見か、または、邪道かのどちらかということになる。

残念ながら、天才でも邪道でもなかった。当然である。つまり、大先生はこの件に関しても教えておられたのである。これまで何度も読んでいた『合気神髄』に書いてあるのである。
大先生は、

このことを無意識の内にやっていた事によって、手先に気が生じ、大きな力が出ていたことになる。ポイントは三位一体と「うぶす」の社(やしろ)の構えであったのである。
まず、三位一体は、○に十の上の体の構えである。相手に向く前足先を北とすると、腹は西北(乾)に向く。この腹が物と心の始まりであるから、この腹の気をアーの言霊で天に上げ、そしてオーの言霊で地に下し、腹を西北(乾)から東北に返す。ここに天の浮橋ができるとあるから、この天地の間に気が生まれることになり、相手をくっつけたり、制する力が出るわけである。また、手も腹と結んで、正中線をしっかりと動くことになる。
次に「うぶす」の社(やしろ)の構えである。はじめは、“産土うぶすなの社”の事かと考え、“産土(うぶすな)の社”の姿形を調べるうちに、それは間違いであることがわかった。
「うぶす」とは、産(うぶ)からで、この旧字体の意味は、Γ草木の芽が生えて、上にのびる意味。そこから、「うむ」「つくる」意味に使う。」(角川新書漢和辞典)であるという。つまり、産(うぶ)を動詞化したのが「うぶす」であると考える。従って、土地神様をまつる「うぶすな」(産土)とは違うわけである。
故に、「うぶす」の社(やしろ)の構えとは、気が生まれ、気が出る構えを取るという事になろう。先の三位一体とも関係してくるわけである。
この「うぶす」の社(やしろ)の構えを無意識に取っていた事により先述のような気の働きがあったものと考えていいだろう。

天才でないことを再度確認したわけだが、自分がやったことが大先生の教えに沿っていたこと、邪道でなかったことに安心した次第である。
今後も同じような経験をするはずなので、今回はいい参考になった。