【第939回】 気で手と技をつかうために

魂の技がつかえるようになることが目標であるがもう暫く時間が掛かりそうだ。しかしその手前の気の技がつかえるようになってきたようである。
今回は「気で手と技をつかうために」との題にあるように、気で手と技を具体的にどのようにつかうのかを、これまで会得した事を記しておくことにする。

先ず、魄の技と気の技に明確な違いがある事である。違いというより正反対である。
魄の力は肉体主体の物質的力であり、気の力は目に見えない生命力であり、ひびきであると考える。
また、魄の力、肉体的な力は身体の裏側(腹、胸側)からの力であり、それに対して気、気の力は身体の表側(腰、背中側)からの力である。身体の一部である手にも表裏がある。手の平側が裏、手の甲側が表である。また、手をつかう場合、合気道の手は剣としてつかうから刃筋を通すようにつかわなければならない。刃側は小指、手刀、尺骨部であり、表である。峰側は親指、橈骨部であり、裏である。

通常人は体の裏側に気を集め、力を出そうとする。この裏側から出る力が魄力である。勿論、この魄力も重要であるから鍛えなければならない。しかしその後はこの次元から次の次元の気の力の稽古に入らなければならないのである。
だが、これまで書いてきたように、この魄の次元から気の次元に変えるのは容易ではないのである。
そこで本題に戻ることにする。どうすれば気が出るようになり、気が身体の裏から表、手の裏側から表に流れ、その気が技につかえるようになるかである。

先ずは大先生の教えに従う事である。大先生の教えを聞き流したり、見過ごしたりしないで吟味することである。大先生は「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません。」と言われているわけだから不斗麻邇御霊の形に則って技と体をつかわなければならない。布斗麻邇御霊についてはこれまで書いてきているので省略するが、気が生まれ、働くためには特にこの御霊の最初が肝心なのである。
最初の御魂はでありこの言霊は“アー”である。このは宇宙に拡がり、天と結ぶ。人体では肩が返り、気が手と体の裏から表に返る。この“アー”がないと肩は返らないので気が出ないということになるので気の技がつかえなくなるのである。
ここから“オー”で地に結ぶ。天地と結んだ盤石の体制になる。天地人が気で結ばれたわけである。
“ウー”で腹中を横に膨らませると手先―手刀―尺骨―肩―背中と気が体の表を流れる。
“ウー”で腹中を縦に絞ると背中にあった気が背中―肩―尺骨―手刀―手先に流れ一本の手となり手及び体が気で満ちる。

尚、“ウー”で手を上げる際、手先と腹を結んで腹で手を出すが、気を体の表に流すためには、特に手の親指が重要になることがわかる。腹とつながった親指をたい(支点)として手刀部をようとしてつかわなければならない事である。親指が体でなく、用でつかうと手も身体も裏(陰)をつかうことになり魄の力になるのである。魄の力から抜け出せない大きな理由はここにあると思う。

気が上、表になると、魄が下になる。これが合気道の正しい道、稽古法であるはずである。何故ならば大先生は「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。魄が下になり、魂が上、表になる。」と言われているからである。」
片手取り呼吸法、諸手取呼吸法は魄が下になり、魂が上、表にならなければ十分な力が出ず、相手に抑え込まれてしまうのである。
また、己の技だけでなく、この道は合気道が目指す地上天国建設の生成化育でもあるからである。大先生曰く、「つまり魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合気道のつとめである。魄が下になり、魂が上、表になる。それで合気道がこの世に立派な花を咲かせ、魂の実を結ぶのである。」(合気神髄P.13)