【第410回】 合気剣の練磨
合気道は武道であるから、すべての攻撃に対処できるよう練磨していかなければならない。徒手だけの攻撃だけでなく、剣や杖など得物に対しても使えるような技を練っていかなければならない。武道はスポーツと違い、何かをやっては駄目というルールはないのである。
合気道には太刀取りや杖取りという技があり、昇段審査にあるため、誰もが稽古する。しかし、ほとんどの方のはあまり上手とはいえないようである。剣道や杖道に励む人が見たら、見ていられなくて、目を伏せるのではないだろうか。
太刀取りや杖取りがうまくいかないのは、それらの得物を十分に振り込んでいないからである。太刀や杖を取るためには、その打ち込んでくる相手の数倍の腕の差がなければならないだろう。だから、太刀取りや杖取りをするなら、その前に太刀や杖を振り込まなければならないことになる。
合気道で得物を振り込むというのは、剣道や杖道の場合とは違うものである。目的が違うし、従ってやり方も違ってくる。剣道においては、自分を傷つけずに相手を切ることが目的となる。だから、いかに剣をできるだけ早く正確に使うかが大事になる。
だが、合気道で剣を使うということは、合気道の技、動きを剣を持ってやることである。いうならば、剣は自分の手の延長、体の一部として使われるべきものである。これを、合気剣というのではないかと思う。従って、合気道家は徒手で技をつかえるだけでなく、剣をつかった合気剣もつかえなければならないことになる。
もちろん、体の一部として剣をつかうようになるのは、容易ではないだろう。ただ力一杯に長年振っていればよい、ということではない。合気道の教えに従って、宇宙の条理、法則に則った稽古をしなければならないのである。
合気道では、剣でも合気の体をつくり、合気の技がつかえるようにしなければならない。剣から多くのことが学べるし、徒手だけではわからないことが分かるようになるだろう。
今回は、得物のうちの剣について研究することにするが、剣でどのようなことができたり、わかったり、確認できるものか、みてみることにしよう。
まず、ひとついえることは、剣の使い方、剣の練磨は、合気道の徒手とおなじように、宇宙の条理・法則に則っていなければならないことである。徒手で見つけ、身に付けた理合を、剣で確認していくのである。
- 手先と腰腹を結び、腰腹で手をつかうと同様、剣先と腰腹を結んで剣を腰腹でつかうことが確認できるし、腰腹との結びがますますしっかりしてくる。
- 手先に流れる力は、腰腹から体の表である背中、上腕の外側などを通ることが確認できる。
- 同じ側の手と足は左右、陰陽で規則的に使わなければならないことが確認できる。右半身(みぎはんみ)で剣を構えから、左手で左足重心の左側陽で上げ、右手を右足に重心を移動しながら右側陽で降ろすのである。
- 技をつかう際に体を縦と横の十字につかうように、剣を振る場合も同様に十字になる。剣を構えて持つ時の両手は、握る時も、両手で抑えたり絞めたりする時も、横に力を加える。そこから剣を振り上げる時は、両手の力は上の縦方向に働き、上までいったときには、また両手の力が横に働く。
- 剣は十字でつかわないと、ものは切れないものである。切り降ろす時には、剣は縦に降りるが、ただ降ろすだけではものは切れないという。切るもののところで、その縦の線と十字になる横の力で切らなければならない。
- 手は中心線上で使わなければならないものであるが、手の場合は、自分の手が中心線上にあるかどうか分かりにくい。それが、剣を持つと、わかりやすくなる。構えたとき、振り下ろしたときには、剣先が自分の中心線上にあることを確認する。
- 合気道では肩を貫かなければならないが、徒手では限界があるようだ。肩が貫けなければ、腰腹からの力が手先に伝わらず、技は効かないのである。
剣を振るときにも、肩が貫けずに引っかかると、剣を大きく早く振ることはできない。
剣を振り上げる時に、肩に引っかかって、それ以上剣が上がらなくなるところがある。そこで胸を開き、脇も開いてみる。そうすれば、剣をさらに上まで振り上げることができる。これも、縦、横、縦の十字である。初めの縦の動きだけでは、行き詰ってしまう。
- 徒手では、体を生産びの息に合わせてつかうのであるが、剣ももちろん生産びの息に合わせて使うべきである。剣には重さと長さがあるので、素手よりも稽古になるだろう。
- 剣をつかえば、撞木(しゅもく)、三角法、半身などの合気道の基本体勢を確認、修正しやすくなる。素手だとあまり気にとめないところが、剣をつかうと体勢が明らかになるので、これでは相手に切られてしまうとか、次の動きに移りにくいなどがわかって、修正していくことができる。
- 技をかけて効かせるためにはいろいろと条件があるが、そのうちの一つに拍子がある。拍子が悪ければ、技は効かないものである。しかし、徒手でこの拍子を身につけるのは、特に初心者には少々難しいだろう。拍子の感覚がなかなかつかめないので、下手をすれば相手を傷めてしまいやすく、遠慮してしまうようだ。だが、剣をつかうと、拍子もわかりやすくなる。
- 剣の練磨は、足腰を鍛え、柔軟にするのにもよい。腰を左右へ十分に回し、膝の屈伸をつかえば、足腰が鍛えられる。徒手で技をつかったり、素手で動いたりするよりも、剣を持って動いた方が、足腰は鍛えやすいのである。
- 魄から魂への稽古にもよい。相手がいる体術では、力を抜くとやられてしまうので、どうしても力を込めてやることになりがちである。そうすると、いつまでも魄の稽古にとどまって、魂の稽古に移れない。
剣の素振りのひとり稽古なら相手がいないので、自分の思う通りにできるのである。初めは思い切って力一杯に振ればよい。筋肉がついて、体もできるだろう。この魄の稽古をある程度やったら、今度は気持ち(気力、精神、心)で振るようにする。気持ちをどんどん出してやり、その分、力をセーブするのである。これがある程度できるようになると、二教裏などによく効くようになる。おそらく、これが魂の稽古への入り口であろうと考える。
- 体を一つに使うにもよい。徒手で稽古していると、体をばらばらにつかっても気がつかないし、なかなか直せないものである。剣を振っていくと、手足や頭と腰腹がしっかりと結ばれ、体を一つに使えるようになる。
- 剣を振ると、天地の気と息を感じるようになる。天地の気と息に合わせて振り、それを自分の身に取り入れていけば、体術でも使えるようになる。例えば、摩擦連行作用などがつかえるようになるだろう。
まだまだ剣を振る効用はあるが、書き切れないのでここまでとする。剣を振り続けていけば、新しい発見が必ずあるはずだ。大事なことは、毎日剣を振ることである。毎日やれば、体がいろいろと系統立てて教えてくれるものである。
合気道の技の動きに、剣をもったものが、合気剣である。剣で技と動きを練磨し、合気道の技の練磨で、合気剣をつかえるようにする。剣と徒手は、互いを上達させる相乗効果がある。
合気道の技の上達には、剣の練磨も必須であると考える。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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