【第106回】 基本固め技

合気道は力も要らないし、女性や子供でもできると言われているので、力がなくても技が掛かるだろうと錯覚している人は多い。だが、武道で力が弱くてできるものなどない。正しくは「合気道の技は力で掛けるのではなく、力を使わなくとも掛かるようでなければならない。」ということである。力はあればあるほどよいのである。

力を出すためには、まず力が出る体をつくらなければならない。つまり合気の体をつくらなければならない。もともと合気道の稽古では、基本の技の形稽古をすることによって、合気の体がつくれるようにできている。例えば、合気道で技を掛けるとき最も重要な手・腕を鍛えるためには、第一教、第二教、第三教、第四教と順繰りに稽古すればいいように出来ている。この第一教から第四教は基本固め技と言われ、これをしっかり稽古すれば、しっかりした手・腕ができることになっている。

しかし、今の一教から四教と開祖が居られた頃の第一教、第二教・・第四教には根本的な違いがあるようである。今の一教、二教・・・四教は技の形(かた)としてやられているが、かっては体、とりわけ腕の部位を固める鍛錬法だったように思う。それを示唆するような例をあげよう。或る時、本部道場の稽古時間で胸取り二教を稽古しているとき、突然、大先生(開祖)が道場に入って来られ、M師範に「なんの稽古をしているんだね」と尋ねられたが、なんとM師範は「はい、第一教でございます」と応えたのだ。我々は二教をやっていたのに、なぜ二教と答えないのか分からず、仲間同士で顔を見合わせたものだった。稽古の後、先輩に聞いてみると、「あの時、二教と言っていたら、大先生に"まだ、一教も満足に出来ていないお前たちに二教は教えておらん"と大目玉をもらっただろう。」と言われていたが、当時はどういうことなのか分からなかった。

二代目吉祥丸道主の著書「合気道」にあるように、第一教は「腕おさえ」とも言われ、しっかりした腕をつくるのと、しっかりした相手の腕を抑える力をつける基本の稽古法である。相手の打ってくる腕に自分の腕が折れたり曲らないようにし、相手の腕をしっかり薬指、小指、親指で握り、腹と結んで崩し、畳にしっかり抑えて、相手に逃げられないようにする鍛錬法ということである。

例え二教の技になっても、第一教でやる場合は、基本は手首の関節ではなく、自分の腕の鍛錬と手の指の鍛錬としてやらなければならないことになる。従って二教の技で第一教をやる場合は、関節を攻める前に、相手の小手先を両手で十分絞らなければならない。つまり、第一教で行なう二教の技では、手首関節を攻めてではなく、両手で絞っただけで相手を崩すようでなければならない。二教だけでなく、三教、四教、五教の形でも第一教の「腕おさえ」でできなければならない。従って、第一教は基本中の基本と言われるのであろう。

第二教は、手首の鍛錬を稽古する法で、「小手回し」と言われる。自分の手首を鍛錬し、そして相手の手首を決める「わざ」を身につけることである。この二教の小手回しの稽古で大事なことは、相手の手首を攻めることによって、相手全体を崩したり、抑えてしまうことである。相手の手首だけ苛めても、相手の体勢が崩れていなければ、相手は生きていて反撃される危険があり、意味が無い。しかしながら、第一教がしっかり出来ていないと二教は出来ないものである。尚、小手返しは、「合気道に於いて第二教と称す」(「合気道」)と言われる。手首を攻めて倒すからだろう。

第三教は、手首肘関節の鍛錬で、「小手ひねり」と言われる。通常の稽古や日常生活では小手(手首から肘の部位)を極限までひねることはまずない。従ってひじは手首などに比べても弱い。この弱い所を攻められても、体勢が崩れないように受けで鍛錬し、またこの小手を攻めて相手を崩す稽古をすることである。この典型的な技は所謂三教であるが、この他にも「小手返し」がある。前述のように「小手返し」は二教であると言われるように、基本的には手首を攻めるわけだが、相手の手首が鍛えられてくると、手首を攻めても効かなくなる。その時は第三教の「小手返し」を掛けなければならない。手首ではなく、肘を中心に小手を返す(ひねる)のである。この時も、一教のしっかりした手で相手の手を抑えることができなければ小手返しはできない。

第四教は、手首の抑え技であり、「手首抑え」と言われる。手首の脈部と骨部を攻めて相手を抑える稽古をし、また受けでその部位を鍛錬する。それが出来るようになれば、その部位を抑えることによって、相手全体を抑えたり、崩すことも出来るようになる。片手取りなどで相手の手首を掴んだら、いつでも四教で決めることができるような心構えでなければならない。四教は三教の腰の動きを使わないと手首は締まらないし、「わざ」が切れてしまうので、四教が出来るためには三教がきちんと出来なければならない。

従って、第一教が出来なければ二教、三教、四教は出来ないということになる。二代目吉祥丸道主も、「第一教の技法でも完全無欠に身につけば、すべての技法は自ら容易に体得できるのである。」と言われている。第一教「腕おさえ」を中心に、第二教、第三教、第四教の基本固技をしっかり稽古し、合気の体をつくりたいものである。

参考資料  「合気道」(植芝吉祥丸著 植芝盛平監修 光和堂)