【第250回】 宇宙の中心を貫く

前回の『天の村雲九鬼さむはら竜王』の論文で、武道家の大先生も詩人のまど・みちおさんも、宇宙を貫く感じを持たれていたと書いた。

開祖が常々言われていた、合気道は宇宙との一体化をすべく修行しなければならないということは、この心境に至ることなのかもしれない。合気道だけではなく、詩人、芸術家の理想も同じであるようだから、煎じつめれば、人間の理想とするところはこの心境なのかもしれない。

合気道は、合気の道とか宇宙の道などと言われるように、一つの"道"である。"道"というのは、今いるところから目標に向かって進むための、まど・みちおさんに言わせれば「引力の方向」ともいえるだろう。人はある方向に向かって進もうとしているし、その方向に向かわなければならないという。この引力の方向を、開祖は、地上完成や宇宙生成化育の方向といわれているのであろう。

合気道の修行に終わりはない。大先生も晩年までそう言われていた。これまでに、「修行が完璧に終了した」などといった武道家や芸術家は聞いたことがないし、また決して言えることではないと考える。なぜならば、"道"は宇宙的な距離があるし、また宇宙が拡大していることもあるだろうが、目標がそこで待っていてくれるのではないようであるからである。しかし、それには偉大な引力があるようで、人が進む方向を示してくれるようである。

詩を書くのもそうだろうが、合気道もその偉大な引力に従って稽古を積み重ねていかなければならないはずだ。引力に従っていれば、"道"を行くことが出来る。この"道"の中で、発見・試行・反省・再試行を繰り返していけば"道"をどんどん進み、目標に少しずつ近づくことになる。

"道"を目標に向かって先に進むということは、より深く分かったということになるが、また、マイナス(反対側)のことが分かることにもなるから、マイナスの方向にも進むことにもなる。例えば、物事をよりマクロに捉えることができれば、必ずその分ミクロで捉える事ができるようになるということである。例えば、マクロの宇宙が分かる程度に、ミクロの宇宙である人体がわかるはずである。わからなければ、バランスが取れるようにやることである。それが自然であり、多分、宇宙の意志ではないだろうか。

"道"を進むと、前と後ろに「自分の道」ができることになる。修行はその道をどんどん長く伸ばしていくこととも言えよう。この道を、大先生やまど・みちおさんのように80年、100年とつくり続けていくと、オノコロ島(地球)の中心を貫き、宇宙の中心を貫き、銀河宇宙の中心を通り抜けていく感じを得るようになるのだろう。

前回、開祖は「天の村雲九鬼さむはら竜王」のお話の後、よく杖や扇子などで神楽舞をされたが、天を突き、そして地を突いて両足で地(床)を踏みしめたと書いた。この動作によって、宇宙の中心を貫かれた感じを持たれたのか、貫こうとされたのではないかと思う。

われわれ凡人はそのような境地に辿りつけないかもしれないが、夢と希望だけは持てる。時間もまだ20、30年はある。けっして出来ないと諦めることもないだろう。

参考文献 まど・みちお『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている』(新潮社、2010年12月20日刊)