技を練って合気道を精進しているが、最近思うのは、合気道の技は布斗麻邇御霊の形に従ってつかわなければいい技にならない、つまり合気の技にならないという事である。これまでは布斗麻邇御霊の形で技をつかうようにはしていたが適当で大ざっぱであった。そしてこれでは駄目で、布斗麻邇御霊の形に出来るだけ正確に、厳密につかわなければならないことを実感したのである。
大先生は、「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・。」と教えておられるのである。これは布斗麻邇御霊は合気の技には大事であり、必須であるという教えである。技が布斗麻邇御霊の姿を現わすようにならなければならないということであり、布斗麻邇御霊があらわれていなければ合気の技ではないということである。
布斗麻邇御霊があらわれているということは、
① この御霊の形(姿)で技をつくり完成させる
② この息づかいで息をつかう
③ この気づかいで気をつかう
であると考える。
布斗麻邇御霊の形は次のようである。これに①②③の姿形にあらわしてみる。