定年になり、会社を辞め、ビジネスの社会から離れて3,4年になるが、ようやく生活が落ち着き、充実した日々が送れるようになってきた。生活が落ち着くとは、やるべき事がわかり、それを毎日やることによって、心も充実を感じ、そして充実(生きているという実感をもつこと)した日々が送れるようになったということである。
定年になった直後は、これまで仕事につかっていた時間が全部帰ってきたわけだから、時間は一日24時間自由に使えることになったわけである。朝は昼まででも夜まででも寝ていてもいいし、徹夜をしようが、夜通し起きていようが自由になったわけである。
しかし、実際にはそれまでの生活パターンとそれほど違いはない生活をすることになる。
分かったことは、人は時間がどれだけあっても、自由に好きに過ごすことはできないということである。自由を制約するものがあるからである。
例えば、人間社会である。社会の中にある以上、働こうが、働かないようになっても制約がある。社会の掟とか社会の目である。
次に、人は食べなければならない。一日3食とか2食の食事をしなければならないからである。人が食べなくともいいなら、自由はもっともっと大きくなる。
更に、自然の制約である。一日は24時間で朝、昼、晩と時間が変わっていく。人はこの変化に沿って生きないと、気持ち良くないし、健康にも良くないものである。
従って、高齢者が一日24時間自由に使えるというのは、言うなれば、精神的な自由時間ということである。精神的に時間を自由に使えるという事である。これまでのように、時間が他者に管理されたり、影響を受けるのではなく、自分の意志によって管理できるということである。例えば、食事の時間など、朝食は出勤時間の30分前、昼食は会社の昼休みの12時から1時までとかであるが、これを好きにできるわけである。
人はこれまでの生活パターンをそれほど大きくは変えられないようである。
まず、寝て、起きて、食事をする、排泄するなどは、定年後も引き続き、一日24時間の中でやっていかなければならない。
ただこれだけでは動物とかわらないわけだから、人は満足できない。毎日が満足できるように、時間をつかわなければならない。自由の時間があるのだから。
高齢者になったら、己のカリキュラムをつくるのがいいと考える。その内容は、