【第934回】 重い体

長年稽古をしてきたせいか、最近、体が重くなっていることを感じるようになった。いつから、どのように重くなったのかはわからない。これまで体の重さなど意識していなかったからである。つまり最近になって体が重くなったのを意識したということである。以前は己の体が軽いと感じたことはある。他人にぶつかられて飛ばされたり、ふらついたリしたためである。これは体重が軽いために仕方がないのだろうと思っていたのである。
しかしこれは武道的、合気道的には駄目だし、重い体になることは必要であり、意味があり、その方法もあるということがわかってきたのである。
因みに自分の体重は以前とそれほど違っていない。

まず、重い体とはどんな体かというと、柔軟な体である。突っ張りがなく、引っかかりがなく、全関節が緩み、体全体がゴム毬のような体であり、重心がしっかり地に降りた体であると感じる。
重い体は伸び縮みする体で、水火の呼吸に合致するから自然(天地、宇宙)と共鳴・共振する。よって自然の気を吸収し、自然の気が体に出入りし、自然と共調する体ということになる。故に、重い体は自然との一体化ができるし、健康な体ということになる。

振りかえってみると、無意識ではあるが、重い体をつくるためにもこれまで稽古をしていたことがわかる。関節をほぐし、筋肉を柔軟にし、関節や骨を強固にする稽古である。二教や三教の関節技や受け身がその典型であるが、合気道の技の錬磨そのものがすべて重い体をつくる稽古だったわけである。特に、受け身には最大の効果があると思うから、特に若い稽古人は受け身を少しでも多く取るようにすべきであると思っている。

重い体ができれば、重い手ができ、重い技がつかえるようになる。魄が下になればその上に気や魂が出るようになる。重い体、重い手ができなければ気の技づかいは難しいのである。
技はこの重い体で掛ける事になるが、技を掛ける際に重い体を維持するのは難しい。途中で体が浮いたリ、手が上がってしまうのである。
重い体を維持するため、

そして重い体には、剛の体、柔の体、流の体があることが分かってくる。剛の体とは言うなれば、はち切れる筋骨隆々の鋼鉄のような肉体であり、柔の体とは柔軟な筋肉・肉の体であり、流の体は水や気に満ちた体であると考える。
これらの剛の体、柔の体、流の体を重い体で技につかうためには、剛の体はしっかりした筋肉と骨の肉体、柔の体は息、流の体は気をつかわなければならない事になる。合気道の教えにある、一霊四魂三元八力の三元である。