【第938回】 謎のある世界は面白い

これまで長年にわたって合気道を稽古してきた。体をつかって技を身に着け、合気道とは何かを頭をつかって研究してきた。合気道を60年以上も続ける事になり、生活の一部になり、合気道と共に生きるようになった。よくも長い間、合気道の稽古が続いたものと我ながら感心している。そして今や合気道を稽古することは己が課す義務のようで止めるに止められないようである。これを大先生は使命と云われるのだろう。所謂、天から与えられた使命ということである。そう考えると、これまで80年やってきた80年の出来事や生きざまが合気道に結びつく。三度、死んでもおかしくない状況から不思議と脱出したりしたのは、己の合気道の使命のために生かされたと考えるようになったのである。

先日、私の稽古仲間がその稽古仲間から「合気道をやる理由、続ける理由はなんですか」と聞かれたが上手く答えられなかったといった。その悩みを打ち明けた若者は10年ほど合気道の稽古をやっているというが、この問題で悩んでいるというのである。
私自身も過って同じような問題を持ち、壁に突き当たったことがあるので、その気持ちはわかる。また、彼はこのような壁にぶち当たるぐらい一生懸命に稽古を続けて来たということもわかる。まともに稽古をしなければこのような問題を持つことも、壁にぶち当たることもないからである。この壁を突破できれば彼の合気道は更に一段進歩するはずである。

そこでこの話をしてくれた稽古仲間に次のように話した。
悩みを抱えている彼の気持ちは、一つは、合気道をこれからも続ける意味があるのか、意味があって欲しいがそれは何かである。二つ目は、合気道は好きだから止める決心がつかないということである。本心は続けたいはずである。

そこで合気道を続ける意味を挙げた。私自身が合気道に真の魅力を感じ始めた事と続ける事になった事である。
合気道を始めた理由、つまり合気道を始めた初期の理由である。それは合気道は摩訶不思議な技であり、また、人間形成の武道である事であった。稽古をしていけば、その内にちょちょいがちょいと敵を吹っ飛ばす事が出来るようになるのではないかという、摩訶不思議な技がつかえるようになるのではないかという夢である。もう一つの人間形成である。入門当時は大学生で友人たちと「人間とは何か、どうあるべきか、そしてそのためにはどう生きればいいのか等を論争していた。友人それぞれ考えは違い、全員一致の考えは最後まで出なかったが、私の考えは、真善美の探究こそが人(自分)の生きる道であるとしていた。そんなとき合気道を知り入門すると、大先生が道場にお見えになり、合気道は真善美の探究であると言われたので、自分の人生観と合気道が求めている事が同じであると確信し稽古に励んだのである。

私自身はこのように無事稽古を続けて生きているわけだが、先ほどの「合気道をやる理由、続ける理由はなんですか」を自問自答して見た。合気道を続けるとか、止めるとかでなく、何故、合気道にどんどん深くはまり込んでいくのかという理由である。
するとある宇宙物理学者が書いた本に出合った。そしてそこにその理由の一つを見つけたのである。その文章は次の通りである。
「未解決の謎に正解を与えるのが科学者の仕事だと考える人が多いかも知れない。むろんそれはそれで正しいのだが、より重要なのは、むしろ今まで知られていなかった重要な謎を見つけることなのです。すべてに答えが知られており謎が残っていない世界など、私には生きる価値がないとすら思える。幸いなことに、この宇宙に関する限り、そもそも正解があるとも思えないほど魅力的な謎が数多く残っている。そんな謎をあーでもない、こーでもないといじり回して悩むことこそ、宇宙物理学者の悦楽である。」(『宇宙する頭脳』(須藤 靖著、朝日新書)

つまり、謎が多く残っている世界があり、その謎に挑戦することが研究に値し、そして生きることにつながるという事である。
これを合気道に置き換えれば、合気道にはまだまだ多くの謎があるし、その謎を解くために挑戦することが喜び、満足につながるということである。
己の生きている人生を知り、悦楽できることになるということである。人生も魅力的な謎が数多く残っている世界であると言えるから、人は一生懸命に生き、そして少しでも長生きしようとしているのである。
合気道の謎、人生の謎、宇宙の謎を見つけるために合気道の稽古し、生き、そしてそれらの謎に挑戦して楽しんでいるということである。