【第552回】 脱皮しない蛇は死ぬ

年をとってくると、体は硬くなり、動きが鈍くなり、反応も遅くなり、持久力も減少してくる。これは人だけでなく、生物の宿命で仕方がないことだろう。出来ることは、その体の老化を遅らせるために運動や稽古をすることである。

体だけでなく心も老化するようだ。体と同じように固まって、融通が利かなくなり、意固地になり、頑固になる。
しかし、心は体のような老化の宿命の法則はないはずである。
心の持ちようによって、年を取っていっても、若々しく、場合によっては、若い時より若々しい心を持つこともできるようだからである。

年を取って最大の問題と考えるのは、変わらない事である。人は、自分が変わっていくことに生きる張り合いを持っていると考える。昨日と今日の自分が変わることによって、明日に変わる自分を楽しみにし、来年、10年後も楽しみにできるのである。一年前と何ら変わらなかった、来年も何ら変わることがないだろうと思ったら、こんな寂しいことはないだろう。

若い時に変われなくて悶々と過ごすことがあるが、若い頃は、その悶々が何とかしてくれた。その悶々が何とか自分を変えようとしたものである。
年を取ると悶々もなくなり、ただ我慢するだけのようで、自分を変えようとはしなくなるようだ。
勿論、多くの高齢者は、90歳でも100歳でも、どんどん変わられており、われわれを叱咤激励しているのも周知の通りである。

年を取ってくると、自分を変えることが難しくなってくる。自分の殻が破れなくなるのである。体と心の脱皮をしなくなってくるのである。
人も生物も、脱皮している間は、若々しく生きられる。しかし、脱皮が完全に止まった時、脱皮しなくなったときは死ぬことになる。

年を取ると、何故、自分の殻から脱皮が難しくなるのか。また、どうすれば、年を取っても脱皮することができるようになるのか、を考えなければならないだろう。

年を取っての体の脱皮は、例えば、合気道などの稽古で汗をかき、垢を出して、新しい皮膚に脱皮したり、汗をかいて内臓や脳などの細胞を新陳代謝して脱皮すればいい。
体の脱皮は、体をつかうこと、体を鍛えることということになるだろう。

次に、心である。年を取って重要なのは、体より心の脱皮の方が大事であるだろう。心は体と違って、自由であり、年を取ろうが取るまいが、脱皮し続けることができるはずである。
しかし、実際には、難しいようである。
何故、高齢者の心の脱皮が難しいのかを考えるに、一つは、長年生きてきた生き方しか知らないのに、その生き方や考え方ややり方が一番いいと思って、それに固守していることである。二つ目は、それ為、今更、別の生き方、考え方、やり方などする必要はないと思ったりするのだろう。三つ目は、新たな経験や情報収集をしなくなり、又は、興味がなくなり、それまでの経験と知識で、ものを考えたり、言ったりし、それを良しとすることである。
しかし、脱皮をしない最大の理由は、挑戦をしなくなることであろう。脱皮をするためには、挑戦が必要だと考える。

生きる上でも高齢者の脱皮は必要だが、合気道の修業においても、脱皮し続けなければならない。脱皮しなくなれば、死を迎えるわけだから、合気の修業においても、合気の死を迎えることになる。つまり、修業の終わりを迎えることになるわけである。
合気道の修業においても、挑戦を止めないで、常に脱皮し続けなければならないのである。
挑戦、これが脱皮のためのキーワードであると考える。