【第316回】 体はみんな知っている

年を取ってくると、いかに自分の体のことを知らないか、また、いかに体を無茶苦茶に扱ってきたか、が分かってくる。若い時は、体は自分のもので、自分の思うように働き、自由につかって当然だと考えていた。

日常の生活だけでは、自分の体を知らないどころか、関心さえないだろう。精々病気になってから、体の大事さ、様々な部位が有機的に働いており、体が一生懸命に頑張っていてくれることなどに、気がつくぐらいのものだろう。

若いうちは、鍛錬と称して体を酷使してきた。多少疲れようが、痛めていようが、さらに鍛えることによって、体をつくってきた。体もよく我慢して、ついてきてくれたものと思う。年を取ったら、それはもうできない。今度は、体に相談しながら、やっていかなくてはならないだろう。

長く生きていると、いろいろな経験をするが、体にもいろいろな経験が蓄積されている。若い時は、体に少しでも多くの経験をさせるのはよいことだが、年を取ってきたら、その経験を集積して活用することが大事になってくるだろう。つまり、今度は経験を積んだ体が、いろいろ教えてくれることになる。

合気道の相対稽古で、技をかけたり受けたりする時には、誰でも少しでもうまくなるようにとやっていることだろう。しかし、このやり方でよいのか、どこが悪いのか、どうすればよくなるのか等などは、誰も教えてくれないし、難しいものである。だが、それを知らなければ上達はない。

誰も教えられないことだろうから、他人には頼れないことになる。それを教えてくれるのは自分の体だけである。

体が、これでよい、ここはぶつかるから体をかわせ、ここの力みを取れ、腰からの力をこの手に流せ等などと、教えてくれるのである。また、強い力で掴まれて動けなくなったり、相手が頑張って動かなくなるなどの問題が起きると、体をこう使い、手足を陰陽で左右交互に使えばよいと教えてくれる。それがうまくいくと気持がよいし、体が満足していることがわかる。つまり、体が示唆するように、そして体が満足してくれるように、やっていけばよいのである。

稽古以外でも、経験を積んだ体は、いろいろと教えてくれる。例えば、風邪を引いた場合などでも、その兆候がある。私の場合は、喉にきてコンコンと咳き込む。喉で菌を食い止めようと、体が戦ってくれるのだろう。このとき、うがいをしたり、体を冷やさないようにすれば、軽くそして早く治る。その後、熱が出るまで、体はだるく頭も重い。1,2日この状態が続いた後、熱が出てくるので、熱を出し切るようにする。体を温めるためには、貼り付け温熱シップ(ホッカイロ)を背中のツボである風門や腰や腹に張ったりもする。

汗が出切ったら、あとは回復に向かうことになる。風邪の後は疲れが取れるためか、体が軽くなる。体も喜んでいるようなので、体には風邪を引くことも必要なのだろうし、風邪にも効用があるということだろう。

風邪を引くと、いつも同じ経過をたどる。風邪を引いたからといって、あわてることもない。体が全部知っていて、その兆候や経過を教えてくれるし、治癒もしてくれるのである。

稽古でも風邪でも、体と相談しながらやるのがよいだろう。そのためには、まず、体に感謝することである。特に、苦労をかけた部位に、感謝することである。

感謝するには、その部位を意識しなければならない。そこを意識すれば、そこと結んだことになる。風邪なら、まず「体さん、よろしく」、そして治ったら「体さんご苦労様でした。有難う」、稽古で手にご苦労をかけたら「手さん、ありがとう」、足なら「足さん、ありがとう」、また、食事をしたり飲酒すれば「胃さん、腸さん、肝臓さん、ありがとう」と、感謝することである。

感謝されずにこき使われたり、詰め込まれたりすれば、体は「おのれ小癪な」と、いずれ反乱を起こすかもしれないし、少なくともご協力頂けなくなるだろう。

体や、体の部位と結び、使わせて頂く際は、その旨お願いし、使用後は「ありがとうございました」と感謝すれば、快く働いてくれるだけではなく、いろいろと教えてくれるはずである。

人間の体は小宇宙といわれるように、宇宙と同じぐらいの未知の知恵やエネルギーを秘蔵しているはずである。人は五体でできているが、どう考えても、なぜ、どうしてこのような体ができたのかはわからない。考えてみれば、不思議なことである。

我々人類が、まだ知らないものが沢山あるはずである。この未知なる小宇宙は、われわれにいろいろと教えようとしているとしか思えない。もっともっと、体に教えてもらわなくてはならないだろう。