【第79回】 今できなくてもいい、失敗してもいい

合気道の稽古は常に真剣にやらなければならない。いうなれば真剣勝負である。スポーツも真剣勝負であるが、相手に勝たなければならない。対戦者に負けたら駄目である。

合気道は自分との真剣勝負である。自分に負けては駄目だが、相手に負けても構わない。相手が段も上で古参であったり、自分より相当腕力があり、体力があれば、相手にやられることもあるだろうし、技が効きないこともあるだろう。技が効かないとしたら、技が効かないことは事実であるから、どう頑張っても出来ないことは出来ないのである。中にはなんとか倒そうとか、決めようとして手を振り回したり、しがみついてきたり、自分の体制が崩れ、危険な位置に居ることも考えずに向かってくるが、腕の差が大きければ、いくら歯を食いしばって、何度やってもできるはずがない。

「精神一統何事か成らざらん」ということもあるようだが、出来ないことは出来ない。それよりも視点を変えた方がいい。相手を倒すことを考えるのではなく、自分のためになるように稽古をすることであり、強い相手から学び取ることである。例えば、二教小手まわしで相手の手を決めようと押したり引っ張ったりするのではなく、相手の手首を借りて両手の小指と薬指を中心にしぼる稽古をした方がいい。今できなくとも、何回も繰り返しやっていれば、その内必要な筋肉がついて、だんだん上の者の手首の関節を決められるようになるはずである。例え押したり引っ張ったりして相手の関節を決めたとしても、そのときだけのことで先に繋がらず、また同じ失敗をするだけで、そこには未来はない。

合気道の修行は宇宙万世一系の道をたどるものである。その道を一歩々々目標に向かって進んでいく。しかしその道を行くのは容易ではない。ときどき邪魔が入るし、壁が塞がり、道が見えなくなるときもある。ときとして歯がたたない相手に出くわすこともあるだろう。しかし強い相手と会えば有りがたいと感謝し、十分揉んでもらい、パワーや技をもらえばいい。邪念や小さな勝ちに惑わされず、一歩々々道を前進、上達して行けば1年後か10年後、その相手とまた一緒に稽古したとき、ずっと上手く出来るだろうし、互角、もしかすると自分の方が相手を自由に制するようになっているかも知れない。

今できなくともいい。それより明日、来年、10年後につながる稽古をしたいものだ。