【第936回】 引こうとする心を起こさしめて引こうとするように仕向ける

道場に行くと稽古の前や後に出来るだけ相対の稽古をするようにしている。そして毎回、呼吸法を繰り返し稽古している。初めのうちは只、がむしゃらに、相手を倒そうと技を掛けていたが、最近では理合いで掛けるようになった。大先生の教えが理合いである。たとえ相手を倒しても理に合っていなければ意味がないと思うようになったわけである。お陰で最近は多少相手が頑張ってきても、相手を制し、導く事ができるようになってきた。
それをよく観察してみると、相手は凝結してしまい、相手の手は伸びきり、こちらと一体化しているのである。故に、相手は力を出すこともできないし、頑張る事もできないし、攻撃することもできなくなるのである。下の大先生の技づかい、体づかいはそれを示しておられると思う。

私の場合、この現象が顕著に出るのは片手取り呼吸法と坐技呼吸法である。
そこで何故このような現象が起こるのか、体をどのようにつかっているのかを確認して見ると、次のようなことがわかった。
これまでの稽古で会得し、積み重ねてきた技の他に新たな法則があったのである。それは相手に引かせることである。相手がこちらの手を取った手を自分の方に引かせるのである。こちらの腰腹としっかり結んでいる手が張り、腰腹と結び、腰腹の力が相手に伝わるので相手を自在に制し、導く事ができるようになるわけである。これを大先生は「引こうとする心を起こさしめて引こうとするように仕向ける」と教えておられる。

しかし、何故、相手が引くように仕向けられるようになったのかである。それは『合気神髄』と『武産合気』を繰り返し読んでいたわけだが、そこで「相手が引こうとしたときには、まず相手をして、引こうとする心を起こさしめて引こうとするように仕向ける。術の稽古ができてくると、相手よりも、先にその不足を満足させるように、こちらから相手の不満の場所を見出して、術をかける。この不満を見出すのが合気の道でもある。」(武産合気P.98)(合気神髄 P.173)という文章があったのだが、何故、突然、「相手が引こうとしたときには、まず相手をして、引こうとする心を起こさしめて引こうとするように仕向ける。」という教えが出て来たのか、文章の構成を考えても違和感があったので、それが頭のどこかに残っていたのである。そして自分が相手に引かせて技がつかえるようになり、そしてこの引かせるように仕向けることの重要さがわかり、これは重要であるという事を大先生は教えておられるのだなと納得したという次第である。

しかし、相手が引くように仕向けるのは容易ではない。私の場合は、まず、イクムスビの息づかいで手先を縦→横→縦につかっている。これだけでは相手はまだ引いてくれない。
イクムスビと十字の手先で手先に集まった気を腹から腰に返すのである。これは息陰陽水火である。これで己の手は出しながら引くことになり、これによって相手も手を引くのである。

しかしこれでも相手が引くように仕向けるのは容易ではないだろう。そもそも相手が引いてくれればどうなるのか、どんな技になるのかが想像できないだろう。
だが、相手が引いてくれるとどのような事になるのか、前述のような状態になるのかを確認できる方法がある。それは坐技呼吸法での受けである。受けが相手の掴んだ手を己の腹や脇に下に引っ張り込んでやるのである。取りの手は突っ張り陰陽の頑強な手となり、腰腹につながり大きな力、呼吸力が出るようになるのである。

これは取りで会得するのは容易でないので、受けで身につければいいと考える。それで技をつかっている先生や先輩の受けを取って身につけるのである。大先生の受けを取った先生や先輩が上手なのは大先生の受けからこのような「引こうとする心を起こさしめて引こうとするように仕向ける」も学ばれたはずである。

「引こうとする心を起こさしめて引こうとするように仕向ける」は合気道の技づかいの基本であると考えるから、これですべての技をつかうようにしなければならないと考えている。