【第371回】 結ばなければ始まらない

合気道の体ができて、基本技の形を覚えるまでは、がむしゃらでよいから力いっぱい稽古してもよいし、そうした方がよいだろう。がむしゃらというのは、相手の事を考えないで自分本位でやる、ということだろう。相手がどう持とうが、その手が離れようが、お構いなく手足を振り回して、技をかけることである。

しかし、高段者になったら、手を振り回すような稽古はすべきでない。技の練磨の稽古では、まずは相手と結んでから、技をかけていかなければならない。結んでいなければ、腕力でやることになるので、力や体力のあるものが牛耳ることになってしまう。それでは、魄の稽古であり、物質文明の申し子となってしまう。

また、相手と結んでから技をつかわなければ、自分も相手も納得できるような技にはならないので、お互い稽古に不満を残してしまうことになる。技の稽古をする際は、必ずまず相手と結んでから始めなければならない。

そこで、相手と結ぶとはどういうことかと考えてみると、自分の手を通して、自分の腰と相手の腰を結ぶことだろう。自分の腰からの力を手に集め、その力を、例えば自分の手から相手の手を通して、相手の腰に伝えるのである。

腰は体の要であるので、二人の腰と腰が結べば、一人になるのである。つまり、1+1=1となり、相手は自分の分身であり、自分の一部の自分になるということである。相手が自分になるわけだから、そこに争いがなくなり、自分の思うように動けて、技がつかえることになるのである。

相手と結ぶのはそう難しいことではないのだが、結びを妨げる問題が存在する。

  1. まず、指、手首、肘、肩などの関節部が折れたり曲がったりすると、腰から手への力、手から相手の手、そして相手の腰への力がそこで止まってしまい、通らなくなる。
    人体の関節は、日常生活においては自由に折れることによって、快適に生活できるように出来ているようである。しかし、武道の稽古では、力を効率的に流したり使うために、逆に折れないようにしなければならない。折れる関節を折れないようにロックするキーワードは、螺旋である。
  2. 次に、力の通り道を自分でブロックしているのである。いわゆるカスがたまっているのである。手首や肘のカスは二教や三教で取れていくが、最も問題になるのが、肩である。手先からの力、腰からの力が、肩でつまってしまうのである。それが高じて、肩が動かなくなってしまうと、四十肩、五十肩などの症状になるのである。結ぶためには、肩のカスを取って、肩を抜かなければならない。
  3. 続いて、開祖が言われる、天之浮橋に立っていないことである。片手取りなどで手を取らせて技をかける際も、手を天之浮橋の状態で使わなければならない。まずは、開祖が言われるように、天之浮橋に立たなければならないのである。
    天之浮橋とは、言うなれば、持たせる手が空中に浮いているが如く、前後上下左右どちらにも隔たりがない状態であることである。空気に浮かせるのは現実には難しいが、水中ではできやすい。腕が水面に無意識で浮くようになれば、自分の手、腕が天之浮橋に立った感じをつかむことができるだろう。
    手や腕だけでなく、心(気持ち)も天之浮橋に立たなければならない。稽古の相手を、倒さなければならない敵と思って相手に接すると、相手を心で弾いてしまうことになり、ぶつかり合うので、相手と結ぶことはできない。
  4. この他に、生産びの息づかいを正しく使っていないことである。相手と接する際に呼気、それから技をかける際には吸気であるが、ここが呼気になってしまうと、相手を弾いてしまって、結ぶことができなくなるのである。
宇宙との一体化、つまり結びが、合気道の修行の目標である。稽古相手とも一体化できないようでは、宇宙との一体化などとても無理であろう。まずは、稽古相手と結んで、一体化する稽古をしなければならない。