【第931回】 河井寛次郎と合気道

テレビをつけていると河井寛次郎(写真)の言葉「暮しが仕事 仕事が暮し」が耳に入り興味を持ったので手を休めて見た。河井寛次郎は著名な陶芸家であることは知っていたが詳しくは知らなかった。

この言葉を聞いて、最近の新たな境地の合気三昧と同じではないかと思ったのである。まだ自分の考えや、決断にはこれでいいという確信が持てないが、このような先人の言葉により自信が持てるのが有難い。

解説によると、河井寛次郎の言葉「暮しが仕事 仕事が暮し」は、この言葉通り、河井にとっての「仕事」は、暮らし──生き方そのものと切り離せないものであったという。現代人の多くは仕事とプライベートが「9時から5時が仕事、5時以降がプライベート」等というように明確に分かれた生活だが、河井家における24時間というのは仕事も暮らしも混然一体となっていたという。そして河井は常々、美しい仕事、正しい仕事は、美しい暮らし、正しい暮らしから生まれてくる、という思いをもっていたという。
つまり、己の合気道も「暮らしが合気道 合気道が暮らし」となればいいとゆうことになる。まさしく合気三昧である。

これを機に調べて見ると、彼の幾つもの名言の中に「新しい自分が見たいのだ ──仕事する」という言葉を見つけた。この意味は、河井は生涯にわたり質量ともに膨大な仕事を残しているが、その原動力となったものがこの言葉に隠されているという。
この言葉も合気道家にとって大事な言葉であると思う。年を取っていく己自身にとっても、合気道は新しい自分を見るために修行を続けているからでもあるからである。昨日までの自分が変わって新しい自分になる事、そして先の自分がどう変わるのかが楽しみであることが修業の原動力にもなっているはずだからである。

もう一つの言葉「井蛙知天──井の中の蛙、天を知る」である。
解説は、「井の中の蛙、大海を知らず」という荘子の言葉から、河井はそれを「井蛙知天──井の中の蛙、天を知る」と言い換えた言葉だという。小さな井戸の中にいる蛙は、大きな海を知らない──つまり世間知らずで物事の理解が狭い、というような否定の意味で使われている言葉を、河井は、その狭い井戸の中の蛙は天については誰よりもよく知っているスペシャリストである、という肯定の言葉に置き換えたのである。職人仕事に打ち込む人、ひとつの学問に邁進する研究者……、そういったひと筋の道を進む名もなき人への賛美の言葉である。
合気道に没頭している身としては有難い言葉である。合気道も身を入れずにやっていれば「井の中の蛙、大海を知らず」であり、所謂、合気馬鹿であるが、合気道一筋に打ち込めばすべての事柄、万有万物、大海、天を知るようになるということである。実際に、合気道の修業が深くなればなるほど合気道以外の事柄(政治、経済、科学、芸術、文化、宗教etc.)を知り、知りたくなり、研究するようになるものである。合気道開祖の植芝盛平翁はその見本であると思う。