【第925回】 気を出すために

前回は『気を知り、気をつかうために』で、気で身体と技をつかう稽古に入らなければならないと書いた。しかし、それでは「気を知り、気をつかうために」は具体的にどのような稽古すればいいのかということになるだろう。そんなことは誰も直接、具体的に教えてくれなかったし、教えるのは難しいと思う。故に、現在、多少気を知り、気がつかえるようになったと思う自分自身の経験と過程を記すことにする。

これは気であり、気の働きであるとはじめて自覚したのは、片手取り呼吸法であった。腕力(肉体的力、肉体主動の力)とは違う、そしてそれまでつかっていた腕力よりも力が出て、相手をくっつけ、相手の力を抜き、一体化してしまったのである。

次に気を自覚したのは、半身半立ち四方投げで相手と接している手がくっついたまま、離れぬまま一体化し、相手を固めて相手を倒してしまったことである。相手の手に触れているだけでも離れないようになったので自分で驚いたのを覚えている。三つ目は、つい最近であるが、これが気であることの駄目押しになった。それは正面打ち一教である。受けの相手が凝結してしまうのである。凝結してくっついてしまったのである。これは以前、有川定輝先生の技(写真)を見ている時にどうしてそうなるのかが分からずにいたが、これは気の働きであることが分かったわけである。

気とは何か、どのようなものであるのか、頭で考えても答えは見つからないということである。身体が見つけ、教えてくれるという事である。技で凝結力や粘着力を自覚出来れば気が働いている事になるし、その働いているモノが気という事になるのである。頭ではそれがわからない。

気とはどのようなもので、どのような働きをするのかが多少分かったところで、その気をどのように出せばいいのかを、これまでの稽古から学び、得たことをまとめてみることにする。
合気道では、気は十字から生まれると教えておられると思うし、自分でもそう実感するから十字で気を産んでいる。どのような十字かというと、これまで次のような十字をつかっている。 これらを一つ一つバラバラにつかうこともできるが、統合してつかえば最高である。
今のところこんなところだが、もっと増えていくだろうから、機会があれば書くことにする。