【第916回】 神業のための環境づくり

「合気道の思想と技」の第915回等で書いたように、魂は神であり、合気道の技は神業にならなければならない。これまでの人為的で作為的な技ではなく、宇宙の意志や営みである魂、つまり神がなせる業でなければならない事になる。また新たな挑戦が始まる。

魂、つまり神様はこちらのお思い通りには働いてくれないはずなので、神様が働いてくれる環境をつくらなければならないと考える。必要条件が整えば神様(魂)も働いてくれるはずである。何故ならば、我々人間も万有万物も宇宙完成に向けて努力すれば、神様は助けてくれるはずであるからである。それが神様の役割のはずだからである。

これまで長年稽古をしてきたのはこの神業のための環境づくりのためであったと思える。合気道を始めた当初からこれまでそんな事を考えもせずにがむしゃらに稽古をしていたが、今それがようやく分かるのである。分かるとは頭だけでなく、体で分かるということである。

これまでの環境づくりは、主に肉体的な合気の体と合気の心をつくる事だった。武道としての体と心づくりである。これによって息づかいを覚え、肺や心臓が頑強になった。
次に息づかいから「気」が身に着き、つかえるようになる。それまでの息で身体をつかうから「気」で身体をつかうようになる。多少、合気道の技らしくなってくる。
心の面では、合気道の教えに従って、真善美の探究をしてきたつもりである。
つまり、体育と気育、知育、徳育、常識の涵養が環境づくりであったわけである。
これまでやってきた体育と気育、知育、徳育、常識の涵養の積み重ねを土台とし、これから神業・魂が出るような環境づくりをするわけである。
従って、これまでの積み重ねた土台には不足分や不完全箇所などがあるだろうから、これからもこれまでの土台を変更したり、修正したり、補充したり、また強化する必要があるはずである。先ずは、それらを変更、修正、補充、強化することが環境づくりとなる。
これが先ず初めの環境づくりである。

更に、大先生は「まずは魂がのれるような形を作らなければならない。形がしっかりしていなければ気も魂働かず、魄を動かすこともできない。」と教えておられるので、形をしっかりしなければならない。形とは、技をつかう際の動作や姿勢・態勢であり、日常の立ち振る舞いである。この形をしっかりすることである。これは容易ではない。完全な形は永遠に出来ないだろうから、いつまでも追求しなければならないわけである。

また、重要な環境づくりは「呼吸力」の養成である。「合気道ではどんな技も、どんな動きもこの呼吸力がなくては絶対正しい技とは言い得ないのである。」と言われるから、呼吸力を身に着けなければならない。呼吸力はあればあるほどいいし、これでいいという限界はないので、引き続き「呼吸力」の養成は必須となる。

更なる環境づくりは、魂・神が働きやすい道を整備することである。そのためには気の流れを研究しなければならない。技をつかう場合、身体に気が流れるが、その流れには決まりがあり、幾つもの流れがあるのでそれを身に着けなければならないと思う。気は人の身体だけでなく、天地宇宙、海山川の自然にも流れているわけだからその流れも知らなければならない。気の流れを身につけることによって、気の流れもよくなり、魂・神が働きやすくやるはずである。気は霊界(幽界)でなければ生まれないといわれているから、稽古は顕界ではなく幽界の次元での稽古でなければならない。

このほかにも神業のための環境づくりはまだまだあるだろうが、必要があれば追々つくっていくことにする。