【第915回】 魂と神

魂の研究をしている。魄から気までは何とか辿り着いたが、魂は中々手強くて暗中模索を繰り返している。その様子はこれまでの論文に記した通りである。
しかし、突然、その光が見えてきたのである。魂の学びこそ合気道修業の目標であるから、合気道修行者としての最大の喜びである。

それではその光がどこから見えて来たのか、そして魂とはどういうモノで、どのように働いてくれるのかを書く。
まずその光はやはり大先生の教えから見えてきたのである。大先生は「顕幽神というのは、つまり顕界は、この世の世界、また幽界は仏教の世界、神界は魂の世界」(合気神髄p.138)と言われている事である。神界は魂の世界という事であり、神は魂であり、魂は神であるということである。合気道の究極の技は魂の技づかいであるが、これは神の技づかいということになる。これが神業である。魂業でもあるわけである。最早、技ではなく業になるわけである。
神がわざをつかうとはどういうことかを考えるために「神」の定義が必要になる。「神」をどのように捉えるかである。これは以前、「高齢者のための合気道 第887回 八百万の神」に、「しかし、誰でもがぶつかる難題がある。「神」である。神とは何かである。神を信じる人もいるが、信じない人もいる。神は科学の分野にないからである。目に見えないし、表わすことができないし、対話もできない。しかし、世界的な科学者、例えば、アインシュタイン博士、天文学者のホーキング博士等などは神を信じていた。神はあるという。私も神を信じている。私の神観は神の働きである。超人的な働きと営み、人類が関与できないような働きと営みを神としている。何もない宇宙に星というモノが生まれ、地球が誕生し、火の玉だった地球には生物が誕生、生育したこと等である。これが神である。神の働き・営みである。神に姿形はない。」と書いた。つまり、「神」とは超人的な宇宙の働き、現象等ということである。宇宙が営んでいるかぎり、神は存在することになる。

合気道では、神には、神と万有万物の基となる“大神”と“八百万の神”があるという。大神は日本の神道では天之御中主之神、仏教では阿弥陀仏、キリスト教ではゴット、中国では大極、天帝と称されている。
八百万の神は、各々の超人的な宇宙の働き、現象に付けた敬称であり畏称である。その典型的な神は、例えば、天照大御神、月読大御神、須佐之男大御神、伊佐那岐、伊佐那美神等であり、合気道に最も深い関係のある天の叢雲九鬼さむはら竜王等々である。何しろ八百万の神の働きがあるわけだから、無限の神が存在するということになる。

さて原点にもどる。神が魂であるのであるから、技を神に任せればいいということになる。多少はこちらの希望を伝えるが、技を掛けてくれるのは神様になるわけである。これまでの己の魄(肉体)や息や気でやるのとは異質な技なのである。つまり、この神様の働きこそ「魂」であり、魂の働きということになると考えるのである。

これまでよく分からずにつかっていた「魂のまなび」とは、これらを知る事であり、そしてこの神〈八百万〉の魂で技をつかうように修練することだと考える。
因みに、ここで分かったことは、魂は一度には分からない。やるべき事を一つ一つ根気よくやって、それを積み重ねた結果に分かるという事である。これまでの積み重ねがようやくまとまってきたのだろう。