【第911回】 気の養成

前回第910回で『顕界から幽界の稽古へ』と題して書いた。ようやく魄の稽古から脱出し、真の稽古(武産合気)の次元での修業に入ったわけである。
これまでの肉体主体の魄の稽古と一番違うと思うのが気で技をつかうようになった事である。気というモノがわかり、つかえるようになった事である。
魄の稽古の教えの『合気道技法』には、気についての詳しい説明はなく、只後で必須となるが、会得は難しいと次のように書いてある。
「気の流れについて、言うは易いが、真の会得は勿論一通りや二通りの修業で得られるものではなく、先ず姿勢、間合い等、形を正しくすることから始めて、不断の鍛練により、遂にあらゆる面が渾然一体となる境地に達するのである。」ここでは気の流れの会得ということになっているが、気と解釈していいだろう。
更に他の箇所で、基本技をより深く掘り下げたり、応用技をつかうためには気の養成が最も必要であると次のように書かれている。
「合気道の投げ技は、すべて必ずといっていい程この二つ(四方投げと入身投げ)の投げ技の動きの変化であり、発展であるということができる。しかし、その変化発展は、自在であり、かつどこまでも奥深いのであって、呼吸投げ、合気投げまでも完全に会得するには、今まで挙げた投げ技の錬磨とともに、心の修行と、それから発する気の養成が最も必要である。」

真の合気道では気が重要であると教えている。例えば、「気は力の本であるから、最初は充分に気を練っていただきたい。(合気神髄p132)」「気は力の本であるから、最初は充分に気を練っていただきたい。(同上)」「技は動作の上に気を練り気によって生まれる。(武産合気 P.104)」「(真の合気道は)気剛柔流、気△○□を根本として気によって技を生んでいくのをいう。日本の道を産み顕す。」等などである。
しかし、『合気道技法』で吉祥丸二代目道主が言われているように気を会得するのは容易ではない。気の会得とは、気とはどういうものなのか。どのような働きをするのか。どのように産み、つかえばいいのか等が頭と体で分かる事だと思う。頭だけでなく、体で感得・納得することである。

さて、今回はこれまで気について分かったことをまとめてみることにする。

真の合気道家は気の養成が大事であるという事である。これまで分かったその養成の結果と気の重要性をまとめてみたものであるが、まだ不完全であり、まだまだ修行が必要である事は言うまでもない。