【第903回】 魄が下になり、魂が上になるとは(その2)

前回の『魄が下になり、魂が上になるとは(その1)』では、技をつかうための前と魂が出て来る後では、肉体的な魄(体、腹)が下になり、魂を出す手がその魄の上になるということを書いた。 これで正面打ち一教を掛けると魂(魂のひれぶり)が出ていい技が生まれるが、更に己の手の働きを観察すると、微妙な動きをしていることが分かってきた。つまり法則があるということである。そして手にも、これまでと違う意味での「魄が下になり、魂が上になる」法則があることが見えてきた。

前回も記したが、大先生は「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。魄が下になり、魂が上、表になる。」と言われている。これをよく見ると二つの種類の魄と魂があるということがわかる。
前回はこの後半の「魄が下になり、魂が上、表になる」の魄と魂であったわけである。
今回はこの前半の「魄の世界を魂の世界にふりかえる」の魄と魂での魄が下になり、魂が上になるを書く。
ここでの魄は魄の世界であり、魂は魂の世界であるから、これまでと違った考えが必要になる。そこで魄の世界を体の裏の部位、魂の世界を体の表の部位とした。体の裏とは体の内側であり、胸や腹側である。体の表とは体の外側であり、腰や背中側である。体の陰側と陽側ともいえる。
また、正面打ち一教を上手くつかうためには手の働きが大事であるが、その働きの重要性はこれまで想像もしていなかったほどである。手にも裏と表がある。この手が上手くつかえないと魂が出る技にならないことは間違いない。

魄が下になるとは、手の裏側が下になる、下にしなければならないということである。手の裏側が下になるとは体(腹)面に対して平行になり、平行に動くということになる。正面打ち一教で手鏡をつくるのはこのためである。
手を無暗に上げたり、振り回すと手が働いてくれないのは手の裏が腹や顔の体に対し、平行にならず力が出ないからである。手の裏側が体と平行になると手の裏側は体に対して外側を向き、体の下になる感覚になる。これが魄が下になる感覚である。

「魄の世界を魂の世界にふりかえる」とふりかえる事が大事である。魄の世界を魂の世界にふりかえるとは、魄の世界を魂の世界に変えてしまう、移してしまうということだと感じる。手の裏側からの魄の力を手の表、そして体の表に移し、魂に変えてしまうのである。この魂が魂のひれぶりであり、波動である。相手が凝結し、引っ付いてしまうのはこれである。
また、手がかえる場合、手の内側・裏側が支点(体)となり、手の外側・表側が返るが、これも魄が下、魂が上になるということであると感じる。