【第898回】 気

これまで「気」には苦労してきた。気の重要性はわかるが、気とはどういうものなのか、どうすれば気が出るのか、気はどんな働きをするのか等よく分からずにいたし、技にもつかうことが出来なかったのである。
前回の「魄が下になり、魂が上、表になる」で書いたように、魂の次元の入り口に辿り着いたおかげで、気がようやく分かった次第である。魂という次元に辿り着いたお陰で、その下の次元の気が見えてきたわけである。上から下は見えるが、下から上は見えないのである。

魂が働くためには魄の土台がしっかりしなければならないことを改めて知ったわけだが、土台の魄をしっかりするのが気であることも再確認したのである。土台になる魄、肉体や手や足がふにゃふにゃしていては、魂は生まれないから合気道の技も生まれないのである。
しっかりした肉体とは、言うなれば気で満ちているということだと思う。気で満ちた肉体(魄)がしっかりした武道的な肉体となり、その土台の上に魂が現われるのである。大先生の演武、有川先生の技、多田先生の技はこのしっかりした土台の上の魂の働きによるものであると拝見している。気で手先から足先、頭のてっぺんまで気でパンパンに張っているのが分かる。

それでは肉体が気で満ちるためにはどうすればいいのかということになる。合気道の教えでは、気は十字から生まれるという。気を出す箇所を縦、横、縦に伸ばし、拡げ、伸ばせばいい。イクムスビの息づかいの、イーで吐いて、クーで拡げ、ムーで伸ばすのである。縦の十字である。縦とは、手の場合、指先方向が縦であり、それと直角方向が横である。この十字の息づかいと体づかいで気を生むのである。指先、手先、足等どこでも十字ができるから気が生まれることになる。身体が気で満ちると魂の生まれる土台となる。しっかりした土台ができると体の各部位は一つに結びつき、手先を返しただけでも体が返るようになる。気が満ちていない体では各部位がばらばらにしか動かないので技にならないのである。これは初心者をみればよくわかる。

大先生は、「気は自分の衣服であると感得する。」とよって言われているが、十字によって気が出て、その気が体を衣服のように包むのが感得できる。また、気は力の大王ともなり、武道の大王ともなるのであるともいわれるが、この十字からの気はまさしく力の大王であり、武道の大王であると実感出来る。

気を十字から生み出すことはできた、魂の生まれる土台ができたわけであるが、魄の力をどのように魂にふりかえるのかということになる。魄を魂に振り返るということは、裏の力を表の力に返るという事である。腹側の力(裏)を腰、背中側(表)の力に返るのである。このために以前にも書いたように、仙骨に働いて貰わなければならないのである。腹からの力を仙骨で魂に返るのである。これを「魄が下になり、魂が上、表になる」と感得する。
因みに、気と魂の違いであるが、気は意識で生まれる。大先生は、気力は魄であるといわれるがこのことと関係があると考える。魂は無意識で生まれる。以前に研究した、頭の働きは手に任すと関係があるはずである。

これでこれまでよくわからなかった気がようやく分かってきたようである。これまでは気の重要性には気がついていたが、よく分からなかったので気と云う言葉は使わなかったが、これで気という言葉をつかえると思うし、もっと後進達にも気をつかってもらうようにしなければならないと思う次第である。勿論、まだ十分には分かっていないのでこれからも探究するつもりである。