【第441回】 知らないことがあり過ぎることが分かり、間違って知っていたことが分かる

学生時代は、自分はいろいろなことを大人達より知っている、と思っていたのだが、もちろん、そんなはずはなく、錯覚であり、思い上がりであった。しかし、そのような思い上がりや錯覚は、若い頃だけでなく、時代や年齢に関係なく、人にはまとわりついているようだ。

最近、つくづくそのことを思い知らされた出来事があった。それは、二冊の本を読んで、それまで自分が考えていたことと大いに違っていたり、間違いである、とわかったことである。

その間違いは、自分で読みもしないで、人の意見や噂を、自分に都合のよいように解釈したり、鵜呑みにして、いかにも自分はそれを知っている、と思おうとしていたことにある。

その内の一冊は、『剣術修行の旅日記』(永井義男 朝日選書)である。23歳で、鉄人流という二刀流の免許皆伝を授けられた佐賀藩士の剣士である牟田文之助は、嘉永六年(1853)、24歳で藩から許可を得て、2年間にわたる武者修行の旅に出る。そして、「諸国廻歴日録」という武者修行の克明な日記を残すのだが、この日記を読むと、それまでの武者修行は命がけというイメージが根底から覆されるのである。

彼は各地の藩校道場に快く受け入れられて、思う存分稽古をし、稽古後にはその地の藩士たちと酒を酌み交わして、名所旧跡や温泉にも案内される。旅の間には、武者修行中の他藩の武士と知り合って、友情を結んだり、訪ねたり、訪ねられたりもする。

各藩では「修行人宿」と呼ばれる旅籠屋に泊まるのだが、そこで頼むと、町の道場への稽古願いの取り次ぎもしてくれるのである。つまり、武者修行のためのシステムができていたのである。武士の試合とは、これまで読んだり、テレビや映画で観たりするような道場破りや遺恨試合での命のやり取りのようなものではなかったようである。

これは、今でいう留学のようなものではなかったのかと考える。若者は留学すると、知らない世界に入って学び、世間は留学生を快く迎えたり、応援したりするのである。

武者修行は命がけであると思っていたため、これまでは興味がなかった。もし自分がその時代にいたとしても、武者修行に出ようと思うことなどないだろうと思っていた。しかし、この本を読むと、自分がこの時代にあったなら、必ず武者修行に出ただろう、と思うようになった。

もう一冊は、『葉隠』である。この本の「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という言葉はあまりにも有名であるが、武士のそのような生き方や考えを書いた本だと思っていたので、興味どころか反感さえ持っていて、読む気にもならなかった。

ところが、偶然にも拙宅の本の山からこの本『葉隠』(奈良本辰也=訳編 角川文庫)が顔を出したので、何気なく開いてみた。すると、これが、それまで死の哲学書とばかり洗脳されて思い込んでいたものとは大違いで、人間の本来の生き方、人間の美学を教えてくれる本であると分かり、食わず嫌いを反省した次第である。

まず、何よりすばらしいと思ったのは、この話を語った口述者の山本常朝の山里の庵に、その話を7年に亘って書き写した田代陣其が訪れたときの歌である。

「宝永七年(1710年)三月五日 はじめてお会いする」とあり、庵の主が、
浮世から 何里あらふか 山桜 (古丸・山本常朝)
という歌で、遠くからの訪問に感激して、こんな山里まで遠かったでしょう、何里ありましたか、と問うと、訪問者は、それに応えて、
しら雲や 只今花に 尋ね合い (期酢・田代陣其)
という歌で、雲のようにあちこち訪ね歩いていましたが、今、ここで尋ね人にお会いすることができて嬉しいです、とその喜びを詠んだのである。

この場面の二人の気持ちはよくわかり、この歌に感動もした。そして、当時の武士の教養や人間性、自然との共生共存、自然や人間に対する感覚等のすばらしさに驚かされた。

もうひとつ、印象に残った歌が載っている。殿様が亡くなったので、家臣が追い腹を切ったときの歌である。だが、現代にも通ずるものがあると思うし、自分もそうありたいと思ったのである。
惜しまるるとき 散りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

また、われわれ現代人や武道の修業の道にあるものに勉強になることも、たくさん書いてある。
例えば、

○「修業の道」という箇所に、「修業の道にあっては、これですべてが完了し他(た)ということはない。完了したと思ったときに、すでに道にそむいてしまっているのだ。」

○「ある剣の達人が老後に次のようなことを申されたそうです。『人間一生のあいだの修業には順序というものがある。下の位は、自分でも下手と思い、他人も下手と思う。中の位は、自分の不十分さがよく分かり、他人の不十分なところも分かるものである。上の位は、すべてを会得して自慢の心も出て、人がほめるのを喜び、他人の十分でないとことを嘆くという段階である。その上の上々の位となると、知らぬ顔をしている。しかし、他人も上手だということをよく知っている。大体はこの段階までである。この上をさらに一段とび越すと、普通では行けない境地がある。その道に深く分け入ると、最後にはどこまで行っても終わりはないということが分かるので、これでよいなどと思うこともなく、また自慢の心も起こさず、卑下する心もなく進んでゆく道である。』」

○「茶の湯の本当の心は、人間の欲望を除いて、その根本を清らかにすることである。眼に掛物や生花を見、鼻に香の匂いをかぎ、耳に釜の湯のたぎる音を聞き、口に茶を味わい、手や足の作法を正し、五感の根本が清らかなときは、精神もおのずから清らかになる」

など、いろいろな問題を取り上げているのである。これは、現在に生きる心得でもあり、修業の道にある者はもちろんのこと、精神不安定な若者や生きることに迷っている者たちにも、大いにヒントと力を与えてくれるものと思う。

これからも、原点に帰り、物事を洗いなおして、食わず嫌いを改め、正しい評価をしていき、ますますいろいろと学んでいきたいと考えている。