【第1011回】 老後は“家族”のために働く

会社を定年退職し早や20年になる。会社で働いていた時は、自分と家族のために頑張って働いていた。そしてそれが国のため社会のためになっている事も分かっていた。少なくとも税金を払っていた。家族や国や社会に貢献していたわけだから問題なく働いてきたわけである。
定年になるとこれまでのように働かなくなる。家族や国や社会に直接的な貢献ができなくなる。仕事を辞めた寂しさはあるが、それよりも自分が何もできない虚しさが大きい。周りの他人の目もこちらを空気のように無視しているように見える。人は人を生産者や労働者として見ているようで、最早、生産性のない高齢者は価値がないモノと見ているように感じる。因みに、小学校や中学校で不登校の生徒が増えているが、この不登校の根底的な原因は、子供たちを労働力養成として教育しようとしていることにあると思う。繊細な子供にはそれがよく分かる。労働力のために学校になど行きたくないと思うはずである。

老後、つまり退職後にどう生きていけばいいかということである。それまでの夢であった海外旅行をするのもいいだろうし、美食を味わうのもいいだろう。だが、そのような生き方は長続きしないし一時的なものであるはずである。もっと長続きし、年を取れば取るほど充実していくものがあればいいと考える。
それは学校でも職場でも教えてくれないはずである。何故ならば、それは職場にとっても、学校にとっても生産性に繋がらないからである。つまり、自分で考えなければならないということである。

合気道には人間本来の生きるべき姿の教えがある。“家族”のために生き、働くということである。人は老若男女問わず、“家族”のために生きているということである。若い時はそれが体験し、実感することができるわけだが、老後ではそれが難しいのが現状だろう。しかし合気道では、老後も“家族”のために働かなければならないと教えているのである。

合気道での“家族”には深淵な意味がある。親兄弟の一般的な家族から人類皆兄弟家族の広い意味での家族である。しかも人類だけでなく、動植物など万有万物が家族なのである。“世界大家族ともいう。
老後はこの“家族”のために働けばいいわけである。しかし若い頃のような金銭的、物質的報酬はない。だが、それ以上のご褒美がその“家族”から貰えるのである。これ以上の報酬はない。実践して見ればわかる。
合気道開祖は、「人々は皆、私の家族であると感じる。己の行はこの家族に教えるのではなく、皆に行うものである」(合気神髄P.46)と“家族”のために修業し、生きるのだと言われているのである。

それでは“家族”のために働くということはどういうことなのかということになる。それを合気道では地上楽園建設への生成化育という。“家族”がある地球を楽園、つまり地上天国をつくるお手伝いということになる。
これが合気道の目標であり、大精神であると次のように教えられている。
「みなそれぞれに処を得させて生かし、世界大家族としての集いとなって、一元の営みの分身分業として働けるようにするのが、合気道の目標であり、宇宙建国の大精神であります。」

老後は他人も外国人も、健常者や障害者、大人も子供も、男も女も差別せずに“家族”として見、そして少しでもそれらの“家族”のためになるよう働き、生きていけばいいと考えている。そうすれば愛が生まれ、争いも少なくなるはずである。そうすれば地上楽園に一寸近づくわけである。
例えば、どこでも誰にでも、又、動物や植物(草花、樹木)、お日様お月さまに“家族”として挨拶をする。彼らも喜んでくれているようである。中にはいつも人に踏みつけられているような道端の雑草が頑張っているのを見ると、「頑張れよ」と応援したくなる。お陰でみな“家族”であると実感するようになってきた。

合気道の修業を続けているわけだが、老後の修行は若い頃とは違ってくる。若い頃の稽古は、言うならば、己のための稽古であった。少しでも強くなる事、上手くなるための稽古であった。老後の稽古は己の稽古が土台になるが、“家族”のための稽古になる。後進のため、合気道家のため、そして世界家族のために少しでもお役に立てるための稽古である。