合気道の稽古を長年続けてこられたということは、大変幸せなことであったと感謝している。まず合気道に出会えたことと、さらに、これまで続けてこられたことである。
当時、ほとんどの人に知られていなかった合気道に出会えたのは、奇跡的であったし、何かの導きとしか考えられない。だから、その導いてくれた何かに感謝である。
次に、稽古を続けることができたことへの感謝である。稽古を続けるためには、健康、そして、時間的および経済的余裕がなければならない。この3要素を与えてくれた自分の身体や家庭や仕事の境遇に感謝している。
この健康、時間、経済の稽古に必要な3要素のうち、経済はとりわけ重要であったと思う。習い事はお金がかかるものだから、衣食住以外の経済的負担が必要である。衣食住だけで経済的に精一杯だとしたら、稽古などできないだろう。
経済が安定してはじめて、稽古ができる。開祖も、まずは経済を安定させなければならない、と次のようにいわれている。「世の中はすべて根本は経済であります。経済が安定してはじめて、そこに道が拓けるのであります」(『合気真髄』「世の中は無欲の者の所有になる」)。
しかし、経済が安定して、稽古ができればよい、ということでもない。さらなる経済の探究と応用を、合気道の稽古へ取り入れていかなければならない。
現代は物質文明の社会であり、少しでも多くもうけて、豊かになるための競争社会であるので、モノやお金を多く持った者が評価される拝金社会である、といえよう。
モノとは、もうけるためにつくられ、もうけるために売られる。もうけるためには、直接関係ないものは簡略化したり、省かれる。サービス業でも金にならないことはしない、等など、腹が立ったり、寂しくなることも度々である。
世の中はどこかまちがった方向へ行っているように思える。世の中だけでなく、合気道の稽古においても、この物質文明、力の文明が幅を利かせるようになってはいないだろうか。早急に合気道の原点にもどって、精神文明、心の文明で、稽古するようにならなければならないと考える。
開祖は「我が国の経済は精神と物質と一如であります。日本では、売る方が先であり、日本のはすべて誠を売り込む、愛を売り込むのであります。武道におきましても、まず愛を売り込み、人の心を呼び出すのであります」(『合気真髄』「世の中は無欲の者の所有になる」)といわれている。
まず、経済は精神と物質と一如でなければならない、ということである。モノだけを作り、売るのではなく、心でつくり、心を売らなければならないだろう。心とは、買い手が満足するための誠の心であり、愛である。買い手は、そのモノとそこににじみ出る作り手の愛に、喜んで対価を支払うのである。
2014年9月1日の日刊工業新聞「産業春秋」に、防災用と飢餓対策支援のためのパンの缶詰をつくっているパン・アキモト(栃木県那須塩原市)が紹介されていた。顧客と共に展開している「救缶鳥プロジェクト」では、企業や自治体に賞味期限3年のパンの缶詰を販売し、購入から2年後、同社が割引価格で新品と交換し、回収品は貧困にあえぐ発展途上国などの食糧にしているというのである。
これこそ精神と物質と一如になった経済といえるものであり、売る方が先で、誠を売り込み、愛を売り込む商いのよい例だろう。
開祖はさらに、合気道の技の稽古においても「まず愛を売り込み、人の心を呼び出すのであります」といわれている。
愛を売り込むというのは、相対の稽古相手が上達するように技をつかい、受けを取ることだろう。愛とは相手の立場で考え、行動することだと考える。愛で技をつかう、受けを取って相手に愛を売り込むと、相手は心と体を開いてくれて、こちらの心に従ってくれる。
経済も合気道も、まずは愛を売り込まなければならない。