【第22回】 老いを楽しむ

人はできるだけ若くいたいと思うものである。とりわけ女性はその傾向にあり、そのための努力も大変なもののようだ。

合気道の道場で稽古をしている人も当然、若くいたいと思っているだろうし、実際、あれだけの運動量をこなすわけだから、何もしない人と比べれば若いといえる。

どんなに体が柔かく、機能もしているといっても、小さな子供の動きを見ていると、自分との違いがしみじみと分かる。そして、自分もこんなに柔らかい体で柔らかく動けたこともあったのに、今は柔らかいといっても雲泥の差であることを実感する。

若いと思ったり、または思おうとしているのに、躓いたりぶつかったりすれば、やはり腹が立って、これは一時的な間違いであると思ったり、思おうとする。しかし、起こってしまったことは事実であり、それは老化からくるものである。子供は同じような状態にありながら、結果が違うのである。そして、これらの子供も年をとってくると、ものに躓いたり、ぶつかったりするようになるのである。

これは人間の宿命である。それなら、老いの失敗を素直に受け入れてしまえばいい。最近では、失敗の対処法として、失敗した時には「機能低下」と口に出すことにしている。自分にむかって年を取ってきていることを言い聞かせるのと同時に、周りへの謝罪とご理解乞いである。また、物忘れで名前や言葉が出てこないときは、「エメンタール・ヘッド(穴あきチーズの頭)」と言うことにしている。エメンタールとは、穴が沢山あいているチーズのことである。思い出せないことというのは、まるでこのチーズの穴に落ち込んでしまっているという感覚がするので、そう名付けた。従って、覚えていることはチーズの縁にくっついて残っているものである。

失敗でも事実を受け入れれば、気がラク〜になるし、自分の老化の程度や速度が認識でき、また失敗の都度、「機能低下」や「エメンタール・ヘッド」と言うことで老化を楽しむこともできるのである。老化もいいものだ。