【第320回】 受け身で学び直す
合気道は相対で、捕り(取り)と受けを交互にやり、技の練磨をしながら精進していくものである。
入門したての頃は、先生や指導者が示してくれた技(形)がよく分からず、自分から技をかけることができなかったので、受けをしながら技を覚えた。前受身や後受身や飛受身などの受けがとれるようになろうと、自主稽古で先輩に投げてもらい稽古した。
受身がある程度取れるようになると、今度は技をかける方に興味を持つようになり、技の稽古をするようになった。相対稽古で、今度は受けよりも捕り(取り)の番がくるのを楽しみにするようになった。この捕り優先の稽古は、長く続いたようだ。
一般的に技をかける方は一生懸命にやるが、受けはそれほど一生懸命にはやってないようだ。しかし、合気道の稽古は捕りと受けを交互にやっているわけだから、半分は受けをしていることになる。技をかける捕りの時だけ一生懸命にやるのでは、受けの時の半分の時間がもったいない。受けでも、捕りと同じように、技の練磨の稽古をすべきであろう。
受けをすると、多くのことが学べるものだ。それは、入門時に学ぶこととは違う。捕りで会得しようとしている「技」や、「技を生みだす仕組みの要素」を、受けで学ぶことができるのである。捕りでなかなか難しいことでも、受けではやり易く、会得しやすいだろう。
技をかけようとすると、相手をなんとか倒そうとか、きめようとしてしまい、肝心のことがおろそかになりやすい。受けの場合、捕りで見つけた「技」とか、「技を生みだす仕組みの要素」を確認したり、鍛錬することが、やりやすいはずである。
例えば、
- 技をかける場合、足は左右交互に使わなければならないが、受けを取る場合も、足を右・左・右と交互に使うことである。これが安全であるし、技をかける捕りの相手にも違和感を与えない。受けでも足が居ついたり、右・左が交互に動かなければ、動きが止まったり、姿勢が崩れて、武道としてのスキができてしまう。これは、避けなければならない。捕りでは難しいが、受けでは容易に身につけることができる。
- 手と腰腹は常に結んで、結びが切れないように動かなければならないが、技をかけるときよりも、受けの方がやり易い。
- 息遣いにも法則(「生産び」)があるが、これも受身の時には会得しやすい。
- 手は体の中心線上にあって、中心線上を移動しなければならない。技をかけるとき、手が中心線上を離れがちになるが、受けの際はそれに意識を入れることが容易なので、覚えやすい。
- 相手の力を自分の腰腹で感じるのも、力まずに、受け身を素直にとれば、できるだろう。
- 力みが取れた重い体にして動くのも、受身の場合の方がわかりやすい。
- 技を使う際に、腕を折ってしまっては、力が伝わらない。これでは駄目であるが、なかなか難しいものである。受身で稽古して、習慣づけるのがよいだろう。
- 敵(相手)の正面に立たない、危険であるということは、武道の基本であるが、技をかけているときには中々わからないものだ。自分が受け身を取っていると、相手が技をかけながら動いている時に、ここに当て身をいれることができるなとか、今だとこちらが首を絞めることもできて危険だなどと、わかるものである。これを、自分が技をかける際に、注意すればよいのである。
受身では、多くのことを学ぶことができる。受身で学び直したいものである。
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