【第89回】 コスミック・センス

ひとは、自分は何ものなのか、どこから来てどこへ行くのか、自分が存在する意味はなになのか等々を、生きている間に知りたいと思っている。しかし、これはなかなか難しいものだ。回答を見付けようとして、ひとは学問したり、宗教界に入ったり、禅を修行したりするのだが、その解答はなかなか見つからない。こういうことが分かることを悟るというのだろうが、悟りは簡単には得られないのでみんな苦労する。

合気道創始者である植芝盛平翁は、ある朝忽然と自分が黄金体と化し、それと同時に、心身共軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心がはっきり理解できるようになったと、悟りをひらかれた。そして武道の根源は、「神の愛−万有愛護の精神」であるとの悟りを得られたといわれている。このことは、それまでの武道や武術は二次元的で、地球規模の思想の基でやられていたのが、開祖によって三次元的で、宇宙規模の思想、哲学でやらなければならないというように変革したということである。

ジャーナリストであり評論家として知られる立花隆氏が、NASA(アメリカ航空宇宙局)のロケットで宇宙に飛んだ宇宙飛行士達とインタービューしてまとめた『宇宙からの帰還』という本がある。この中には、宇宙飛行士の一人、エド・ミッチェル氏は、自分がこれまで考えていた問い、すなわち「私という人間がここに存在しているのは何故か。私の存在には意味があるか。目的があるか。人間は知的動物にすぎないのか。何かそれ以上のものなのか。宇宙は物質の偶然の集合にすぎないのか。宇宙や人間は創造されたのか。それとも偶然の結果として生成されたのか。我々はこれからどこにいこうとしているのか。すべては再び偶然の手の中にあるのか。それとも、何らかのマスタープランに従ってすべては動いているのか。」に対する真理の回答を、宇宙を飛んでいるときに瞬時に把握したと書かれている。

つまり、「世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。すべての存在がそれぞれにその役割を担っている、ある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。生命は目的をもって進化しつつある。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。一体である全体は完璧であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。・・・」ということが一瞬に分かり幸せだったという。

彼によれば、真理を把握する、つまり悟りを得るような神秘的体験に特長的なこととして、そこにいつもコスミック・センス(宇宙感覚)があるというのである。それ故、歴史史上の悟りを得た偉大な精神的先覚者は、この地上にいながら、このコスミック・センスを持っていただろうという。確に精神的先覚者の一人である開祖も、「天之浮橋に立て」とか「宇宙のひびき」と言われたり、天之御中主神をはじめ八百万の神さまと交信されていたわけだから、コスミック・センス抜群の方であったと言える。

また、人間は進化してきたし、これからも進化するだろうという。今や人間は宇宙に進出することによって「地球生物」から「宇宙生物」に進化したといえよう。これからの進化の方向は「人間の意識がスピリチュアルにより拡大する方向」であろうとも述べている。これは合気道で言う、「天岩戸開き」「魄の上に魂がくる」ということと同じである。合気道はコスミック・センスを有するものにならなければならないことを、改めて痛感する。稽古も、地球の表面だけの二次元でやるのではなく、宇宙から見る三次元でやらなければならない。二次元でやるかぎり、国同士、宗教間などの競争と争いが避けられないように、強弱の稽古、パワーの稽古になってしまうし、魄が魂を下にしてしまうので、なかなか合気道での悟りは得られないことになる。

エド・ミッチェル氏は、宇宙は神秘的体験をもつためには最良の場所だともいっている。歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経てやっと獲得できた感覚を、普通の人間が宇宙空間に出るという行為を通して容易に獲得できるというのである。しかし、凡人がそう簡単に宇宙に飛び出すことは当分の間は難しいだろうから、コスミック・センスの合気道をやり、悟りの境地を見出すのがよいだろう。

参考文献:
 「宇宙からの帰還」(立花隆 中公文庫)
 「合気道」(植芝盛平監修、植芝吉祥丸著、光和堂)