【第83回】 力と技と心

合気道は「からだ」と「技」と「こころ」を修練し、磨き上げていくための道である。「からだ」とは体の機能と力といえるだろうが、具体的に意識できるのは力であるので、武道修練の上では、大雑把にいえば「からだ」を力と置き換えることができるだろう。

力は必要があればつくし、鍛錬してもつく。しかし力だけでは大きな働きや、繊細な仕事、無駄のない美しい「わざ」、ひとを納得させることなどはできない。

「ただ筋力をつけるためにやる筋力トレーニングでできた筋肉は、末端に力を集める"押す動作"などには役立たない。」(「スポーツ選手なら知っておきたいからだのこと」大修館書店)といわれるように、ただ力をつけるだけのトレーニングだけでは、合気道の出す力や繊細で強力な「わざ」には役立たないということである。

合気道その他の武道には「技」がある。形(かた)には名前があるが、「技」は無限にあり、大体は名前がない。従って「技」は、伝承的、体系的に説明するのが難しいので、見て覚え、投げられて覚えよということになる。また「技」は盗めともいわれるのである。

合気道で技をかけて効かすためには、力が強いだけでもだめだし、技を沢山知っているだけても上手くいかない。一般的には、力が強ければ技が下手か、技が上手ければ力が弱いとどちらかに偏っているものだ。このバランスをとるのがなかなか難しい。勿論、技を沢山知っていればいるほどよいし、力はあればあるほどよい。ただ、その力と技とが結びつかなければならない。

力と技を結びつけるのは、心といわれる。心とは、心情、精神、感情、意向、意志を意味する。思想、哲学、世界観、人生観などからなる心で力を使い、技を使えば、力と技はその人の思想、哲学、世界観、人生観を表すことになる。「術(力と技)は心の表現である。」(合気道新聞No.56)と開祖はいわれる。心と結んでいない、心のない力は野蛮な、破壊的なものになるだろう。また心には意向や意志という要素もあるので、心と力と技が結びつけば、力と技を練成していくもとにもなろう。この心によって自分の力を自覚、確認し、鍛錬し、力に技を加えてその力をより強力に、効率よく、そして道に沿った使いかたにしていくのである。

これによって、心(魂)が力と技、つまり体(魄)の上位になり、魂が魄をリードすることになる。従って、心によって体や技が左右されることになるので、心の修行が大事であることになる。若い内はどんどん体を鍛え、力をつけ、技を覚え、そして高段になったら、その力と技をむすぶ心を磨いていかなければならない。これが三位一体の姿ともいえるだろう。相撲(写真)でも求めるものは「心技体」といわれる。力と技、そして、それを結ぶこころを練磨し、三位一体になるように修行していかなければならない。