【第663回】  天の村雲くきさむはら竜王

大先生最晩年の5年間ほどお教えを頂いた。教えて頂いたといっても、手取り足取り教えて頂いたわけではなく、大先生の姿や動きを拝見したり、難しいお話を拝聴したということである。当時は大先生のお話にどのような意味があり、どのように稽古に繋がっていくのかなど分からなかったし、正直あまり関心もなかった。
しかし、あれから半世紀も経ってきて、その頃の教えが大事な事であることがわかり、そしてようやく稽古に結びついてきたようである。

一生懸命に耳を傾けて聞いていたわけではないが、大先生の言葉が思い出されるのが不思議である。学校での先生の教えてくれたことは、試験には大事であるはずだが、思い出すことができない。しかし大先生の教えの幾つかをまだ覚えていて、それを思い出すのは不思議であると常々思っていたのである。

その耳に残っている大先生の言葉の一つに、「合気道は天の村雲くきさむはら竜王の働きであります」がある。『合気神髄』を読んでいると、その言葉が書いてあるが、それを見ると大先生の声が聞こえるようで、当時を思い出すのである。
『合気神髄』には次のように書かれているが、大先生はこのように言葉を発しで我々を導いてくれていたのである。
「合気道は天の村雲くきさむはら竜王の働きであります。天のむらくもとは、宇宙の気、オノコロ島の気、森羅万象の気を貫き息吹く気の働きであります。くきとは、大地の妙精の現れと、天の現れとを一つに貫く、即ち天と地の両刃の剣です。さむはらとは、世の最高の徳と功しを称えた言葉であります。」(武産合気 P.40)

これまでは、天の村雲くきさむはら竜王の働きなど、何が何だか分からなかったが、当時、大先生は我々稽古人達に、頻繁にこのお話をされていたので、きっと大事な事だろうなとは薄々感じていたが、あまりにも難しそうなので逃げてきていた。馬の耳に念仏だったと思う。失礼な話である。

しかし、最近、気に挑戦してくると、この天の村雲くきさむはら竜王の働きが近く感じられるようになり、また、これが分からなければ合気道修業のこの先に進めないと思うようになったので、挑戦しなければならないと思うのである。

まずは、前出しの大先生の教えを解釈し、それが技づかいとどのような関係になるのかを研究してみたいと思う。
○「天のむらくもとは、宇宙の気、オノコロ島の気、森羅万象の気を貫き息吹く気の働きであります」
 <解釈>天のむらくもとは気であり、気の働きである。宇宙、日本、森羅万象を貫き、息吹く気である。

また、大先生は、「くわしほこ ちたるの国の生魂(いくたま)や うけひに結ぶ 神のさむはら」と詠われている。
その神のさむはらという神様、すなわち天の村雲の剣のことであろう。天の村雲ということは、いいかえれば宇宙の気、オノコロ島の気、森羅万象の阿吽の気を貫ね貫いて自分の魂の気によって、そっくりそれを結んで・・・。それが天の村雲の剣である。あらゆる昔からの神剣発動の根本になっているのである。」(合気神髄 神P.145)と云われているように、天の村雲の剣ということになる。

技を遣う際、この宇宙、日本、森羅万象を貫き、息吹く天の村雲の剣にならなければならことになる。それを大先生と有川先生の手が天の村雲の剣となってつかわれていると思うものを紹介する。

○「くきとは、大地の妙精の現れと、天の現れとを一つに貫く、即ち天と地の両刃の剣です」
<解説>天の村雲の剣で相手と接し、阿吽の呼吸で天と地がつながると、気の地場が出来、相手は己と一体化し、己の一部の無重力となり、天にも地にも自由自在に導くことができるようになる。つまり、ここで殺すも生かすも自在となり、これが両刃の剣であろうと解釈する。
この両刃の剣と思われる写真を下に示す。
○「さむはらとは、世の最高の徳と功しを称えた言葉であります」
<解説>上記の写真が示すように、技や姿、形には徳と功(隙が無く、完璧に決まっている)がなければならないということだろう。

天の村雲くきさむはら竜王になるような技づかい、体づかいの稽古をしなければならない。合気道は天の村雲くきさむはら竜王の働きであるからである。