【第617回】  呼吸の微妙な変化は気の妙用で

前から書いてはいるが、前回も技は息で掛けると書いた。体を動かす前に、息で体を導き、技をつくるのである。
体は腰腹、足、そして手の順でつかうが、息はその前につかうわけである。つまり、技を掛ける際は、息、腰腹、足、そして手をつかうという順になる。
そうすれば、体でやるより自由に、つまり強くも弱くも、早くも遅くも自由に動けるし、相手も納得しやすくなるのである。

息はイクムスビであり、イーと吐いて相手と接し、クーと吸って相手を導き、ムーで吐き相手を制し、スーと息を吸いながら倒れた相手からスーと離れ、そしてビィーのイーで息を吐いて相手に接してもとに戻る。
この息づかいで技をかけている間は、相手と結んでいるので相手を制している。
イクムスビの息づかいが乱れると、息が己の体と相手の動きに合わなくなり、相手との結びが切れてしまい、相手の防衛本能を目覚めさせてしまうことになる。

切れてしまうのは息が続かないからである。しかしよく考えてみると、息は思うように長く続けることなどできないものである。しかし、息もできるだけ自由につかいたいものである。

それでは息が切れても、相手とも結びが切れないためにはどうすればいいのかということになろう。これがイクムスビの息づかいを身につけた、次の課題である。
息に頼らず、体が止まらず、技も切れずにするにはどうすればいいのかということである。

その答えが気の妙用である。
息で体(腰腹、足、手)を導くことを土台にして、今度は気で導くのである。「気」がどんなものか難しければ、当面は、「気」を「気持ち」とすればいいと考える。気持ちで導くのである。気持ちで技の軌跡を描き、それに息を合わせ、そして体を合わせて、技にしていくのである。

気は、息と違って切れることはない。自由自在に働いてくれる。この切れる事のない自由な気に息と体をのせてつかうのである。
不思議な事に、気にのっていれば、息は吐こうが吸おうが、相手との結びが切れることも、体や技が止まることもない。気が働いていれば、どの箇所でも、息を吐いたり、吸ったりすることが自由にできる。つまり、気は息を変化させることができるのである。そして気になる技は自由になるのである。
これを開祖は、「気の妙用は、呼吸を微妙に変化させる生親である」、また「呼吸の微妙な変化は気の妙用によって得られ、業が自由自在にでる」(合気神髄 P.86)と言われている。