【第525回】  無限の力、魂の力を得るためのイニシエーション

合気道は神業の鍛練であるといわれる。神様の営みの業を形にした技を会得し、練っていくのである。そして少しでも神様に近い技、神業を身につけていくのである。開祖のように、大の男を放り投げたり、鉄砲の弾より速く移動したり、普通の人には見えないモノが見え、聞こえないものが聞こえるなどである。

私を含めて、合気道に入門した人たちの多くは、神業や摩訶不思議な力に憧れて入門したと思う。合気道を修業すれば、いずれ神業を身について、力持ちの大男もチョチョイがチョイと投げたり、押さえることができるようになるだろうと。

入門当時の初心者の内は、形を覚えながら、体をつくっていくわけだが、この時期の稽古は、やればやるほど上達するので、誰もがやりがいがあり、そして神業もそれほど遠くないと思うものである。
これが、一段階目の稽古である。

この一段階目は、腕力や体力にたよった力(魄)の稽古である。だから、形(一教や四方投げ等)で受けの相手を倒そうとするわけである。魄の力は有限であるから、魄の力から、無限の力が出せるという魂の力を養成しなければならないことになる。それが次の段階ということになる。

この二段階目に進むためには、何かをやらなければならない。これまでの魄の稽古を魂への稽古に変えなければならない。腕力、体力の力(魄)から心、気持ち、精神の力(魂)に振りかえていくのである。それまでの力(魄)を土台にして、心(魂)を表にし、心で魄を導くのである。
開祖が云われている、岩戸開きである。

だが、この二段階目に進むためには、第一段階と同じように稽古を続けていけばいいことにはならない。先へ進むための何かをしなければならないのである。それは何かやるべき事である登竜門であり、洒落ていえば、通過儀式であるイニシエーションということもできるだろうし、また、それは、古い言葉では「秘儀」ともいえるだろう。
重要で欠かすことができないものだが、中々見えないモノである。しかし、合気道の教えや技の中には、すでに存在しているはずのモノである。

イニシエーションを経て、それが身に着くと、これまでと次元の違う自分になり、一段上の異質の技がつかえるようになる。言葉を変えると、次元が変わるきっかけをつくってくれるモノということにもなる。

このやるべき事、登竜門、イニシエーション、秘儀はひとつではなく、数多くあり、稽古の段階やレベルによっても変わっていくものと考える。

今回は、取りあえず、第一段階の魄の稽古から、第二段階の魂の稽古に進行するためのやるべきイニシエーションを見てみたいと思う。
それは、開祖が頻繁に云われている「合気道は天之浮橋に立たなければなりません」の「天の浮橋に立つ」であると考える。

この「天の浮橋に立つ」が、次への秘儀であり登竜門であり、越えなくてはいけないイニシエーションであると確信する。云いかえれば、「天の浮橋に立つ」を無視して稽古を続けても、次の魂の稽古に入れないだけでなく、体と心を痛めることになるはずである。

しかし、「天の浮橋に立つ」で技をつかわなければ、確かに魄の力から脱却できないから、天の浮橋に立たなければならない。しかし、これを身につけるのは、容易ではないことも確かである。だから、秘儀でありイニシエーションなのであろう。
無限の力、魂の力を得るためには、まず、「天の浮橋に立つ」イニシエーションを通過しなければならないと考える。