【第430回】 武産合気と合気道

われわれは合気道を修行しているが、考えてみると分かっているようで、多くのことがよく分かっていないようである。

合気道という言葉もそうである。合気道を定義することも難しい。開祖は「宇宙の霊、体に同化し、そして和合の光のこの修行をすることを合気道と今名付けている」といわれているから、宇宙との一体化への道が合気道ということになるだろう。

開祖はまた、「合気道とは、真の武であり、この世のすべての生物の、守護の道であります。即ち、この合気道は、すべてを生かす羅針盤であります」ともいわれている。
つまり、合気道こそ真の武であり、万有万物を守っていき、生かしていく道を示して行かなければならない、ということである。

一般的に、「武」とは戈(ほこ)を止めるといわれ、敵の攻撃を防いだり、また、攻撃は最大の防御ということで、攻める手立てをいう。しかし、古の名人、達人たちには、「武は神なり」「武は神の立てたる道」、あるいは「武は万物の根元なり」など、攻防の武を超越した考えを持たれていた方々も居られた、と開祖はいわれている。

開祖の「武」のお考えを見てみると、「汚れたものを祓い淨める。それが武である」、また、「障害、汚濁を取り除くことが、武の動きである」といわれている。そして、「武は万有の生成化育の法(のり)にふして、万有の成長をまもる法であります」とある。

つまり、万有万物は宇宙建国のために皆、各々その使命を果たし、生成化育をしているわけだが、その生成化育を阻む障害や汚濁を取り除くのが武である、ということであろう。

その武を生み出すことを、合気道では武産(たけむす)といい、合気道は武産の現れであるという。「ムス」は、「ウムス(産むす)」の「ウ」が取れたものとされ、自然に発生するといった意味がある。「苔生す」(こけむす)の「生す」も同根であると、辞書にはある。開祖は、合気道は武を守り育てる「産屋」(うぶや)である、といわれるのである。

合気道は、宇宙の修理固成を阻むものを取り除き、世を守る武を産む武産でなければならない。
この武産の現れを合気というということだから、武産の現れる合気を「武産合気」というと考える。

開祖は、武産合気の本義を「天地の本日までの仕組みにおいて、たくさんの穢れができている。これは当然の成り行きであるが、この穢れを合気道の真髄によって天地の条理を明示して、この世の動きと和合して、この世の穢れを排除していくことが武産合気の本義である。」といわれている。

しかし、武産合気の実践は容易ではない。開祖は、天之浮橋に立って合気を産み出さなければならないし、気剛柔流、気△○□を根本として、気によって技を生んでいかなければ武産合気にならない、といわれているのである。
まだまだ足元をもっと固めていかなければ、武産合気にはならないだろう。