【第386回】 合気道は魂の学び
合気道の創始者である植芝盛平翁は、合気道とはどういうものか、『合気真髄』(「合気道新聞」)や『武産合気』などで説明して下さったが、われわれ凡人には理解するのがなかなか難しい。難しい理由の一つは、合気道とは、という説明が一つではなく、たくさんあることである。学校の試験問題の解答のように、一つではないのである。二つ目は、合気道とは・・・である、という説明の中で使われている言葉が難解なことである。
言葉が難しくて、合気道とは何か分らないもののひとつが、「合気道は魂の学びである」である。「魂」(こん、たましい)がよく解らないために、合気道とは何かわからないし、何を学べばよいのかもわからない。
従って、これが解るためには、何としても「魂」とは何かを研究しなければならないことになる。
「魂」とは何か、調べてみても統一された解釈はまだないようで、学者により、また辞書、書物によってもバラバラである。「魂」という語は日常でもよく使われていて、例えば、魂が抜ける、魂消える(たまげる)、一寸の虫にも五分の魂、大小は武士の魂、面魂(つらだましい)、負けじ魂、三つ子の魂百まで、など等あるが、何となく分るようだがはっきりしない。
ここは、合気道の研究をしているわけだから、「魂」の解釈はやはり開祖の解釈に従っていくのがよいと思う。
「合気道は魂の学びである」で学ぶべき魂とはどういうものか、開祖の教えから見てみると、
- 魂、それは造り主の分け御霊(みたま)である
- 宇宙組織のタマの響きが魂である
- 一切を生みだすものであり、不滅の生み親である
- この世において、目に見えざる火水が体内に通って、肉に食い入り血肉の血行となっている。これを魂という。
など等と言われている。
この魂の説明と、宇宙組織の教えである一霊四魂三元八力を考え合わせると、魂は一霊(造り主)の分け御霊で四魂があり、タマの響き(言霊)であり、宇宙の万有万物を生み出す親で、それが人間の肉体にもまとっている、というようなことになるだろう。
まずは、この宇宙組織の教え、宇宙の営みを学ぶことが、魂の学びのはずである。
しかし、もう一つの魂の学びがある。それは、小宇宙である自分の魂の学びである。なぜならば、合気道では、人の身の内には天地の真理が宿されている、と教えられているからである。
上記には、「この世において、目に見えざる火水が体内に通って、肉に食い入り血肉の血行となっている。これを魂という」とある。これは、大宇宙組織の一霊四魂三元八力の一霊が四魂(荒、和、奇、幸)となって、体内に入り働いていることをいうもの、と考えてよいだろう。まず、この魂の学びをしなければならない。
また、開祖は、
- 武術は魂さえしっかりしていればいくらでもでき
- 自在の気なる魂によって魄を動かす
- 魂は自分自身で創るのであります
- いつも我々は気を通して魂を磨く
ともいわれている。だから、魂を自分自身で創り、磨いていかなければならないことになる。ここでの魂の学びとは、いかにしてこの魂を育成していくか、ということだろう。
開祖は「人もまた、一霊四魂三元八力与えられており、・・・しこうして己が、一霊四魂三元八力(宇宙組織の教え)の姿態をもって、清浄に融通無碍に緒結びし、宇宙の内外に魂を育成して邁進すべし」ともいわれている。そして、イズノメの御魂にならなければならない、といわれる。イズノメの御魂とは「経魂たる荒、和,二魂の主宰する神魂を厳(いず)の御魂といい、緯魂たる奇(くす)、幸二魂の主宰する神魂を瑞(みず)の御魂といい、厳瑞合一いたる至霊魂をイズノメの御魂という」から、縦の荒魂、和魂と横の奇魂、幸魂のバランスが取れた十字になるように、四魂を育成していかなければならない、ということが魂の学びであると考える。
参考文献・引用文文献 『合気真髄』
ちなみに、他の分野では、「魂」は次のようにも解釈、定義されている:
- 霊魂が今世で肉体をまとっている状態を「魂」、シルバーコード(魂の緒)が切れて肉体を離れたものを「霊」と呼ぶことにする。(矢作直樹・東京大学大学院医学系研究科教授著『神(サムシング・グレート)と見えない世界』)
- 魂こそが本当の自分であり、それに対して神が体を貸している(同上)
- ほぼすべてのキリスト教徒は、魂 (たましい)は人間の不滅の本質であり、魂は死後に報酬か懲罰を受けると信じている。(同上)
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