【第337回】 玉留産霊(たまつめむすび)

合気道は誰でも容易に始められて、上達していけるが、ある段階からの上達は難しい。ある段階までは、稽古を続けていけば体ができてくるし、技の形を覚えるし、力もついてくる。だが、それから先へ進まないのである。合気道の本当の力が出てこないのである。本当の力が出てこなければ、技の上達はない。

合気道の本当の力を出すのは、容易ではない。それまでの稽古とは違う、次元の違った稽古をしなければならないからである。開祖も、それは容易ではないこと、つまりやるべきことをやらなければならないと、次のように言われている。「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても、合気道の本当の力は出てこないだろう」(「武産合気」)。

本当の合気道の力を出したければ、「一霊四魂三元八力」「呼吸」、「合気」を理解し、そして身につけていかなければならないのである。今は開祖も居られないわけだから、開祖に教えて頂けない。我々後進の者が自分たちでそれらをひとつずつ研究し、会得していくしかないだろう。

「呼吸」と「合気」については、以前にさわりだけでも書いたので、一霊四魂三元八力について書いてみようと思う。しかし、これでも多すぎるので、今回はこの内の三元、特に玉留産霊(たまつめむすび)を中心に研究してみたいと思う。

一霊四魂三元八力の三元八力は、万物においての働きである。八力は動‐静、引−弛、凝−解、分−合などであるが、引力をつくりだす働きである。 そして三元とは生産霊(いくむすび)足産霊(たるむすび)玉留産霊(たまつめむすび)の働きであり、霊力である。そして、生産霊は△、足産霊は○、玉留産霊は□に働くといわれる。

生産霊は生成発展し活動して止まざる霊力、足産霊は不足することなくして豊かに充足する霊力、玉留産霊は浮かれゆく魂を身体に鎮め留むる霊力、などとも言われている。

三元とは、気、流、柔、剛である。「気を起して流体素、あらゆる動物の本性である」。柔とは、「柔体素で、植物の本性また肉体のように柔らかいものである」。剛とは、「剛体素。大地や岩石のような固いもの、鉱物の本性である」。
気は霊に属し、流・柔・剛は体に属するというわけである。また、霊とは即ち「魂」のことであり、体とは「魄」のことである。

三元の働きは、それぞれまた三つの働きがある。例えば、気にも剛柔流の働きがある。つまり言ってみれば、繊細な気、柔らかい気、剛い気があるということだろう。

開祖は「八大引力が対照交流し、動くとき軽く澄めるものは天に昇り、濁るもの汚れるものは下へ地へと降った。天と地が交流するたびに、物化して下降、交流しては下降し、だんだん大地化して来た。これが玉留産霊の大神の神業である。生産霊、足産霊、玉留産霊の三元がととのうと、宇宙全体の姿が出来上がるのである。」(「合気真髄」)といわれている。

「霊(心)は霊、体は体で、ととのえていかなければならない。みな霊(心)と体をととのえて、気、流、柔、剛とその世界に進んでゆくのである」というのである。

宇宙と人の体は、同じ造化器官としてできていることになっている。この宇宙のことを、心体に当てはめると、生産霊、足産霊、玉留産霊の三元がととのえば、人体全体の姿ができあがることになるわけである。

生成発展し活動して止まざるよう(生産霊)、不足することなくして豊かに充足すべく(足産霊)、浮かれゆく魂を身体に鎮め留むべく(玉留産霊)と、三元をととのえた、△○□が整ったの心体にするのである。

玉留産霊が地を固め宇宙全体の姿をつくり、また、人の心体の全体の姿をつくるには、八力、つまり八大引力の対照交流が必要である。この三元八力が、固体の世界を造り、人類社会もそれによって完成されてゆくのである。

稽古においては、動−静、引−弛、凝−解、分−合が対照交流するような技つかいをしていかなければならないはずである。
この八力が身に着くことにより、さらに体ができてきて、求めている合気道の本当の力がでてくると信じる。