【第296回】 天地は主のつくりし一家(道歌10)

今回は、道歌「美しき この天地の御姿は 主のつくりし 一家なりけり」を研究してみたいと思う。

この歌は昔から目にしていたが、当時はこの意味することはただの空想であって現実ではないと思い、直接自分に関係づけては考えてなかった。しかし、合気道の修練を続けて来て、これは科学的事実であり、われわれは一家として仲よく美しく生きなければならない、ということがわかってきた。

これまでは知識としていろいろなことを学び、自分の一部として受け入れてきたし、合気道の技の稽古でも、技を自分の一部として身につけてきた。そしてこの道歌も、自分と対峙し、自分の知識の一部としての存在だった。

合気道は、知識を増やしたり、技の数を増やすことが重要なのではない。大事なのは、いかに自分を技の中に入れこんでいくか、ということである。技や知識と対峙したり、自分の一部としてくっつけるのではなく、そこに入りこんで、成り切ることである。

この道歌も然りである。この天地にあるすべては、創造主につながる一つの家族なのである。だから、創造主である大神様に感謝し、その中でみんなで仲よくしなければならないし、また、各自が自分の使命を果たしていかなければならない、ということであると考える。

主の大神様とは、何もないところからビッグバンを起こした万有万物の創造主であるポチである。この一つのポチから、いまの万有万物が創造されたわけである。宇宙、星、地球、生物、無生物、人間、動物等などすべて、このポチにつながっているのである。今の人類は、一アフリカの女性から派生していると言われるし、そのアフリカ女性は、動物や魚やバクテリア、そしてアミノ酸などの分子、原子、そしてポチに遡ってつながっているはずである。

進化するものは網目状に繋がり合っている、ということである。宇宙は進化しているが、網の目状だという。「この宇宙には、星が数百億、数千億集まっている銀河や、銀河が数百個、数千個も集まっている銀河団、さらに何億光年にもまたがった銀河の網の目状の構造『大規模構造』など、多様な階層構造が存在していることもわかってきています」(ネット「宇宙図」)とある。

葉脈も網の目状の構造で、茎などと連結して水や養分を供給し、デンプン等の合成産物を運ぶ通路になっている。そしてこの葉脈は、茎、枝、幹、根につながり、他の葉ともつながっている。そしてまた、この葉も主の大神様につながっているのである。

生物の脳や神経や血管も網の目状に張り巡っているし、ソフトで見えない分野でも、物事は網の目上に発展、進化しているように思える。

例えば、商売は網の目状につながっており、東日本大震災で経験したように、その一つでも欠ければ商売に差しさわりが出る。逆に、新しい商売をする場合は、網の目の欠けているところを補うか、新しい網の目をつくればよいことになる。学問の世界でも、すべての学問や研究が網の目上に絡み合っている。新発見とか発明をしたければ、既存の網の目を離れて、新しい網の目で研究していかなければならないということになる。

人も網の目状につながっているといえるだろう。ひとりの人は、どの人ともどこかでつながっていることは間違いないから、やはり進化する人類も網の目状にあることになる。それも、現次元だけではなく、過去と未来の人達ともつながっているわけだから、三次元、四次元の網の目にあるといえるだろう。

人はみな家族である。われわれ人類や万有万物を創造された主は、一家としてつくられたはずである。周りの人を家族として見れば、争う事や殺し合う事や騙すことなど出来なくなるはずである。合気道の稽古でも、相手は家族であると思えば、愛の稽古ができるようになるだろう。

開祖は、合気道を通して、世界平和、地上楽園、宇宙完成を果たしていかなければならないと、いわれていた。その思いと思想がこの歌、
「美しき この天地の御姿は 主のつくりし 一家なりけり」
ににじみ出ていると思う。

この美しくあるべく天地が一家となり楽園となるには、まだまだ時間がかかりそうだが、少しでも早く、ひとりでも多くの人が、人も動物も植物もすべてが一家であることに気がついて欲しいものだ。が、それは先ずは合気道同人の使命だろう。開祖はそれに期待されているはずである。