【第280回】 螺旋で舞い上がる

相対稽古で基本技を掛けあっても、簡単なようでなかなかうまくできないものがある。例えば、入り身投げや天地投げで、こちらの手が相手の首に引っかかって、相手を頑張らせてしまい、争ってしまうことである。この問題は、二教、三教、四教でも同じで、問題の原因と解決策はすべて同じであるといえる。

稽古で受けの相手が倒れたからといっても、遣った技がよいとかうまいとは限らない。相手が弱かったり、力がなかったり、また、受けを取ってくれれば、相手は倒れるものだ。

たいていの場合は、稽古人同士でかけた技のできがどのくらいか、分かるものだ。時として過大評価する人もいるが、かけた技が真に効けば、かけた本人だけでなく、受け側にもそれがわかるものだ。特に受け側には、よく分かるのである。

従って、技は自分だけ満足するのではなく、相手に納得してもらえるよう、満足してもらえるように、かけていかなければならないことになる。

それでは、相手が納得し、満足する技遣いはどうすればよいのかということになるが、先ほどの入り身投げや天地投げでは、こちらの手が相手の首にぶつからないようにしなければならない。しかし、首にぶつかるのは手であるが、実は気持(心)もぶつかっているのである。

ぶつかるのは、自分の力と気持が、相手の力と気持に正面衝突することである。なぜ正面衝突するかというと、十字道とも言われる合気道で、息と体を十字に遣っていないか、十字の順序を間違えるからだといえるだろう。

合気道の技は宇宙の営みに則っていると言われるわけだから、宇宙の息、天地の息に合わせて、体を遣い、技を遣っていかなければならないはずである。先述の入り身投げや天地投げ、また、二教、三教、四教でも、倒したり決めたりする前に、天の呼吸に合わせて舞い上げなければならない。天地の呼吸に合ってなかったり、逆らえば、もうそこからぶつかることになる。

うまくいかないのは、縦に舞い上げるところを、横に動かしてしまうからである。また、舞い上げるためには、足の重心は舞い上がる手の反対側に置き、そして螺旋で舞い上げなければならない。正しい足の重心により、螺旋で舞い上げると、力をそれほど使わなくとも相手は舞い上がってくれるし、その顔が納得した表情になるので、こちらも満足できることになる。

相手が納得し満足するのは、相手の心である。ということは、技は相手の体(魄)を攻めるのではなく、相手の心(魂)を納得・満足させるようにすればよいことになる。つまり、魂を魄の上に置くということである。

心が満足するのは、一言で言えば、宇宙の法則、宇宙の条理に逆らわないことであり、宇宙の営みと合っているということになるだろう。

そのためには、こちらの心が宇宙の営みに少しでも近づくようにしていかなければならない。今回の例では、螺旋で天へ舞い上がるということを書いたが、これは「タカアマハラ(宇宙)のラの一言霊が六言霊を悉くふくめて天低から地低へ、地低から天低へ、螺旋を描いて常に生命をたどっているのです」(武産合気)という宇宙の営みに合わせるためである。

天低から地低へ、地低から天低へめぐっている宇宙の螺旋の息に合わせ、そしてその螺旋の助けを借りて、技を遣うようにしたいものである。人為的な行為には限界があるし、その力はたかが知れている。