【第23回】 魂魄

現代は魄、物質の世界である。力のあるもの、財のあるものがこの世界をリードしている。人はまだ魄に頼り、モノを求めているからである。

数百万年前、人類が出現したときには人工的なモノは何も無かった。
今この地球上に生存している人類は、永年にわたる試練や争いや競争に打ち勝ってきた子孫達である。病気や飢えや寒さ、他部族との争いや他国との戦争などに打ち勝ってきたのである。これらの試練や争いや競争に勝つために人類はそれに打ち勝つための学習をし、それを伝える遺伝子を子孫に残したのである。つまり、これまでは魄の世界であり、魄が絶対に必要であったわけである。
人はこの遺伝子を有している故、よほど注意をしないと競争心を起こし、争いを起こしてしまうことになる。

しかし、物質、魄そのものは否定されるものではない。これは上記のごとく人類の遺産である。スポーツでもそうだし、合気道でもまず体をつくり体力を練らなければならない。気、気力、精神も大事であるが、それで相手は倒れてはくれない。ビジネスでも十分な資力やお金がなければ思うこともできないだろうし、家庭でも或る程度のお金がなければ精神的な段階の生き方も出来ないだろう。まずは物質の花を開いて、その上に魂の花を咲かせ、魂の実を結べということである。

開祖は、「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合気道のつとめである。魄が下になり、魂が上、表になる。」と言われている。つまり、しっかりした魄ができたら、魂、精神を養成し、魄をコントロールせよということであろう。

また、開祖は魄の世界と魂の世界の違いの例として、「魄(物質的)の上からもテレビのようなものができ、遠隔の地の出来事も見えるようになった。それが一歩前進して精神の花が咲き、実が結ばれた折には、人は互いに個々の想いが絵のように自己に映って、すべてが分かるようになる。」(『合気神髄』)といわれている。魄のテレビが出来てよかったが、それで満足しないで自分の心にすべてを映すような精神の花を咲かせよということである。

魄を軽視せず、魄に頼らず、そして魂の花を咲かせ、心のテレビに世界を映してみたいものである。