【第200回】 大地の呼吸(潮の満干)

開祖は言うに及ばず、直弟子であった諸先生方も、人間を超越したような業を使われていたことは周知の事実である。いわゆる人間離れした業というのは、人間が人間としていかに鍛錬しても、その延長上にその人間離れする業という結果が出る訳がないということであろう。

人間を超越した、人間離れした業を身につけるには、人間を相手に、人間である自分だけに頼って鍛錬や修行をしても不可能であろう。それには、自分より大きな、自分を包みこみ、生かしてくれているものの力をお借りすることしかない。つまり、山や海や大地や日月等である。だから、昔から人間離れした業、神業(かみわざ)を会得するためには、山に籠ったり、滝に打たれたり、野山を歩いたり、深山幽谷で瞑想するような修行をしたのだろう。

合気道の相対稽古で技を掛け合う時も、自分の力だけに頼ってやったのでは、人並みのことしか出来ない。それでは、相手も満足して倒れてくれないだろうし、自分自身も満足できないはずである。なぜならば、人間同士のことをやっている場合には、どうしても自分たちの求めているものとは違う、という感じを持つからではないだろうか。つまり、合気道の修行の目的である宇宙との結びつきが出来ない、となんとなく感じるのだろう。宇宙とまではいかなくとも、少なくとも人間を超えたものを会得するためには、自分を超えた何かの力をお借りして技を掛ける稽古をしなければならない、とだれもが感じているのではないだろうか。

自分を超えるものにはいろいろあるだろうが、その一つに「地の呼吸」というのがある。開祖は、「人は大地の呼吸と潮の満干をうけとめている。」と言われる。大地の呼吸とは潮の満干である。これを開祖は「塩盈珠(しおみつのたま)」「塩ひる珠」と言われている。

それではこの大地の呼吸を、わざ(技と業)でどう遣わせてもらうかということになるが、最もポピュラーな基本技である「片手取り四方投げ」(右半身)で、これを説明できるのではないかと思う。

  1. まず右手を呼気で相手に取らせ、相手と結び、重心と念を右の前足である地盤にのせて十分地に入れ込むと、地からその抗力が返ってくる
  2. その抗力で、手と共に吸気で重心を撞木に進める左足に移すと、相手が体ごと引き寄せられる。相手とは結んで一体化しているので、力の抗力を遣うと重くないし、自由に動かせるはずである
  3. 自分の体重と相手の体重が左足にのったところで、重心を十分地に入れ込むと、その抗力が返ってくる
  4. その抗力ですかさず右足を撞木で進め、少し遅れてくる相手の力も右足にのせ地に入れ込むと、地からの抗力が返ってくる
  5. 相手に持たせている手を体の中心で振りかぶり、重心を右足から左足に移動しながら、体を180度転換する
  6. 受けの相手はこちらを中心に回されて、自分から倒れることになる。無理に倒さなくとも地が引き受けてくれる。
つまり、地への圧力とその抗力という「大地の呼吸」で、上下左右に振ることによって、あたかも「潮の満ち引き」のように動けるのである。とりわけ、自分の重心が地に着くのと、相手の重力が乗ってくるのと、それらの抗力が地から返ってくる時間に若干のずれがある。そのずれは初めは小さいが、後になるほど大きくなり、最後が最も大きくなるので、「潮の満ち干」が実感できるはずである。「大地の呼吸」「潮の満ち干」とはまさしく至言である。

「塩盈珠(しおみつのたま)」と「塩ひる珠」になって、この「大地の呼吸」が上手くいくようになれば、大地から宇宙へとつながっていけるのではないかと考える。開祖は、「まず立つところに天盤、地盤のふみをもって霊系の祖と体系の祖を左の足に、ずっとそこの国までつき戻して、常立ちの姿に宇宙一杯に気の姿を拡げている」と言われているからである。