【第17回】 技は思想の表れ

開祖植芝盛平翁は超人的な強さをもった方だったが、開祖はその強さを誇るために修行をされていたためではなく、ご自分の思想・哲学のために修行されていた。つまり、「合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。・・・・合気道とは、すべてを自己に吸収してしまう引力の練磨です。」

国技館には相撲博物館がある。その展示室に第七代横綱稲妻雷五郎の「相撲之伝」の書き物が飾られている。「相撲之伝」には、以下のように書かれていた。

「それ相撲は正直を旨として 智仁勇の三つを心得 色酒夾のあしき経に不遊  朝夕おきふしと共心手ゆるみなく精神をはげまし 仮にもうそいつわりのこころをいましめ なお勝負の懸引きに臨んでは いささかも相手に容赦之心なく侮らず恐れず 気を丹田に納め 少しも他の謀り事を思わず 押手さす手ぬき手の早き業を胸中に察して つく息引息に随い 其の虚実をしり 勝を決するものなり
青柳の風にたおれぬ
ちからかな

稲妻雷五郎則親書」 (一部漢字など変更)

合気道を修行している人それぞれに合気道観はちがうわけだが、自分のため、社会のため、人類のため、地球や宇宙のために少しだけでも貢献すべく修行の目的とし、稽古でもその目的に向かい、沿った稽古をしたら、開祖が望んでいた「世界を和合させ、人類を一家たらしめる」ことに多少は近づけることになるのではないだろうか。