【第159回】 神業の鍛錬

合気道は宇宙の生成化育を技にしたものであり、そして、その技を練磨することによって宇宙と一体化するための道であると言えるだろう。従って、合気道は宇宙の道であるといえる。

一般的に人間が考えてやることなど、宇宙の目で見れば小さいものだ。そのようなものを見ても感動はないだろうし、多くの場合、反感さえ覚える。しかし、時として人は、人のやることに感動を覚えるときがある。また、驚愕するときがある。今までの経験を総合しても、なぜそのようなことが起るのか、頭では整理がつかず、理解が出来ない摩訶不思議である。

合気道の稽古でも、打っていったのに相手が消えてしまうとか、自分が倒れまいと意識ではそう思っていても、自分から崩れてしまうとか、いくら力を入れても力が抜けてしまうとか、掴んだ手を離そうとしても離れないとか、摩訶不思議なことがある。開祖はこの摩訶不思議を数多く行なわれ、それを多くの人たちが見たり、体験をしたといわれる。例えば、鉄砲の弾をよけたとか、直径4,5寸ある松の木を根こそぎ引き抜いたとか、幾人かの弟子の前から姿を消して空間移動をした等々が語り伝えられている。

理屈でも分からず、理論的に説明ができない摩訶不思議は、通常の人間の能力を超越した力から起るようだ。それを強いて言えば、宇宙の力と言うことが出来るだろう。そして、これを神業というのであろう。

合気道は宇宙の道であり、神業の鍛錬であるという。開祖は、「合気の道は宇宙の道で、合気の鍛錬は神業の鍛錬である。これを実現してはじめて宇宙の力が加わり、宇宙そのものに一致するのである。」(「合気真髄」)と言われている。合気の道が宇宙の道に則れば、神業が出るようになり、そうなれば宇宙が手を貸してくれ、宇宙と一致できるというのである。

この神業を生ずるためには宇宙の道を辿らなければならないが、宇宙の道を行くということは、真理を探究していかなければならないということになる。つまり、真理の感得と鍛錬によって神業が生じるということである。この点について開祖は、「合気道は真理の道である。合気道の鍛錬は真理の鍛錬であって、神業を生じるのである。」(「合気真髄」)と言われているのである。

神業を生じるとは、真理の道に即しているということであろう。真理の探究を続けなければならない。真理を鍛錬すれば、宇宙が力を貸してくれ、神業ができるようになる。神業が生じるように鍛錬をしていかなければならない。

参考文献  『合気真髄』