【第118回】 行為の三要素

人が話をしたり、文章を書いたり、何かをやるのは、人に何かを伝えたり、説得したり、また自分自身で納得したり、何かを成し遂げるための行為である。行為は目的が成就されて、よい成果が上がればいいが、すべての行為が上手くいくとは限らない。

合気道の形稽古では、技をお互いに掛け合うという行為をするが、相手によっては上手くいったり、上手くいかなかったりするものだ。

合気道はスポーツと違って、相手に勝てばよいという勝負の世界ではない。たとえ力負けして抑えられても、それに納得できなければ、その技は効かなかった訳であり、相手の行為は成果が上がらなかったことになる。

合気道で技が本当に効くとは、どういうことだろうか。技は自分を上達させ、相手を納得させ、そして自分が納得するための手段である。自分だけ出来たと思っても、相手が納得していなければ、効いたことにはならない。自分も相手も納得して、初めて効いたと言えるだろう。

まずその為には、合気道の技が正確な「道の技」でなければならない。形を崩したり、邪道の技では、相手はたとえ押しつぶされたとしても、納得しないだろう。

技という手段を使った行為が納得されるためには、正確な技を使う他に、その技という手段の行為の目的がはっきりとしていなければならない。例えば、開祖が言われているような「相手と一つになってしまう」「相手が自ら喜んで倒れる」「五体を宇宙に結ぶ」合気道である。

技を遣うという行為には、もうひとつ大切な要素が必要である。それは世界観、宇宙観である。合気道を通して何をするのか、目的は何か、つまり如何なる世界を創ろうとしているかということである。例えば、「争いのない世界をつくる」「魂が魄の上に来る世界、精神がモノの上に来る世界をつくる」等などとなろう。

これがない場合は、稽古の対象が稽古の相手や人間になってしまうから、争ってしまうことになる。世界観、宇宙観をもった稽古は、対象が人ではなく、宇宙であり、宇宙の法則に則った稽古をすることである。そのために、合気道のわざは理に適った自然な「わざ」となり、人間を越えた対象を持つことで、人との争いなども馬鹿々々しくなって、争いがなくなると考えられる。

このような世界観や宇宙観をもつ合気道をやることができれば、合気道の領域を越えた人達をも納得させることができるだろう。開祖の周りに多くの分野の方々が集まられた理由は、ここにあったのだと思う。

合気道の稽古という行為は、時間と空間を超越した宇宙観、よりよい世界をつくるという合気道の目的、そして宇宙の法則に則った「わざ」という手段、の三つの要素で構成されていなければならない。

参考文献   「空の思想史」 立川武蔵