【第916回】 魂は神であるの確認
前回の第915回「魂と神」で、神が魂であり、魂は神であると書いた。大胆な仮説であるが、これは間違いではないと思う。しかし、更に確信するために確認することにする。確認できれば魂の技がつかえるようになるだろうし、真の合気道が身に着くと思う。
確認するためには、大先生の教えを見直せばいいだろう。大先生は必ず「魂と神」について教えておられるはずだからである。『武産合気』『合気神髄』などの中にその教えもあるはずである。
そして次の教えを見つけたのである。
- 神とは天にもあり、地にもあり、また自分の中にもある。そして時としては自分も神となり、世のためにつくさなければいけない。
- 魄力でやってゆく国は、最後は上手くゆかない。阿吽の呼吸でやってゆく事、あくまで魂を表に出すことである。魂の力を以て、自分を整え、火本を整え、神を表に出して神代を整え祭政一致の本様に則ることである。
- 顕幽神というのは、つまり顕界は、この世の世界、また幽界は仏教の世界、神界は魂の世界。
- 魂、それは造り主の分け御霊
- 魂の力をもって自己を整え、神を表に出して神代を整え、祭政一致の本義に則ることである。
- 人をつくるには、まず神と人との間に立つ伝道者の精神のふりかえをすること、伝道者はまず本様につくりなおすことである。本様とは、神を表にした、霊魂の修業である。体が上になって、霊が下になってはまずい。体を宿として、土台として、その上に霊、魂を働かすのである。霊の思うままに体が動くことである。
- この合気だけは小さい神さまじゃない。世界中の天津、国津の八百万の神々に、ことごとくご協力いただいております。顕幽神三界も、また我々の稽古の腹中に胎蔵しております。
自分の心の立て直しができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万の神、こぞってきたって協力するはずになっております。
これで魂は神であること、また、自分の中にもあることが確認できたわけである。
次はこれを技に取り入れ実践することである。魂の技がつかえるようになり、神業がつかえるようにする修業に入るということである。
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