【第873回】 神に招かれるよう

合気道は武道であるから、矛を止めることが出来るように、力をつけ、体をつくり、技(形)を身につけなければならない。これは合気道以外の武道でも同じであるし、人間の本能でもあるようなので問題はない。
しかし、合気道はこの次元にいつまでも留まっていてはならないと教えている。魄の稽古から魂の学びに移らなければならないのだ。これが他の武道と大きく異なるように思う。だが、この魄の次元を脱出して魂の次元の稽古に入るのは容易ではない。

合気道の稽古の次元が変わるためには、稽古の目標が変わらなければならない。魄の次元の稽古の目標は、強くなりたい、上手くなりたいという物理的なものであり、その最終的な目標は漠然としたものである。他の武道やスポーツなら、相手に勝つ、試合に勝つ、優勝するなどの具体的な目標が設定できるが。合気道には試合も勝負もない。
魂の次元の稽古に入るためには物理的でなく、精神的な目標を持つ必要があると考える。合気道の教えのその精神的な目標は、「宇宙との一体化」である。その宇宙との一体化のために、合気道では宇宙の営みを形にした技を錬磨しているのである。宇宙が入った技を会得することによって宇宙を取り入れ、宇宙になっていくわけである。

合気道の技は宇宙の営みであるから、宇宙の法則に則っていなければならない。宇宙の法則に則った技をつかうためには神につながり、神になることである。例えば、有川定輝先生は、「技から道、道から神っていう言葉がありますね。技を極めることによって神につながる。だから私(有川)は技即道即神という考えですね。」と言われていたし、大先生は更に、「合気道は、どうしても『天の浮橋に立たして』の天の浮橋に立たなければなりなせん。これは一番のもとの親様大元霊、大神に帰一するために必要なのであります。」「合気道は、自分が天之浮橋に立つ折は、天之御中主神になることである。」(武産合気P.101)等と云われているのである。

これまで「神」について研究してきたわけであるが、私の「神」は、宇宙・天地の働きが神であるとしている。何もなかった宇宙に太陽や月や地球が創られ、火の玉だった地球上には動植物や人類が生まれ、生存しているという摩訶不思議な働きである。
神になるとは言うなれば、合気道の技をこの宇宙天地の働きに合してつかうということになる。つまり、神の働きと一体化するようにつかうということである。
そしてまた、神の働きと一体化できれば神に招かれたことになると思う。また、一体化できなければ神に招かれなかったということになる。
神に招かれるためには、宇宙の営み、宇宙の法則に合した技づかい、体づかいをしなければならない。例えば、布斗麻邇御霊の働きに合わせて技と体をつかうわけである。天地水火陰陽の理や息陰陽水火の結びで技と体をつかう稽古をしなければならない等である。

合気道では、神に招かれるようになれば大先生のようになれるわけである。強いだけでなく、隙なく、無駄なく、自然で美しい技、つまり神業になるということである。合気道以外でも神に招かれた、招かれている人々はいる。私がそう思う人は、例えば、今聞いているシャンソン歌手のエディット・ピアフ、美術家の篠田桃紅、日本画家の東山魁夷等である。彼らの声や作品は神の次元にあり、物質文明のどろどろした次元からかけ離れていると感じる。
勿論、この他にも多くの神に招かれている方、いた方がおられる。名人や達人、時間や空間を超えて世界的に感動を与える方等は神から招かれた方のはずである。

これからの合気道の稽古は、神から招かれるような稽古をしていきたいと思っている。