【第863回】 魂魄結合が武の本義

正面打ち一教(右半身)で、相手が打ちこんでくる右手をこちらの右手で受け、そして左手で相手の二の腕(上腕)を押さえるが、この二の腕を抑えるのが難しい。この押える左手が伸びきらず、緩んだり、折れ曲がったりして十分な力が相手の二の腕、そして体に伝わらないのである。初心者は左手が上手くつかえないこともあるのか、右手を陽→陰とつかわずに、陽→陽とつかってしまう。
相手は力一杯右手で打ち込んでくるわけだから、それに負けないように対応しなければならない。手先だけの腕力では制することはできない。こちらも腕力で対応すればぶつかり、迎え打つ手が抑えられてしまうか、争いになり技にならない。

この問題をどう解決すればいいのかということになる。実は、私自身はこの問題に長年悩んできた。ようやくなんとか解決出来たので、何故これまで出来なかったのか、また後輩達が何故できないのか、そしてどうすればいいのかが分かったわけである。

有川定輝先生の正面打ち一教
分かったという事はそれを技(正面打ち一教)で表すことが出来るという事である。教わった有川定輝先生の理想の形(写真)にはまってきたということになる。何とか先生のような技づかい、体づかいが出来るように試行錯誤していたのが実ったといっていいだろう。

勿論、この問題の解決法は大先生の次の教えにあった。
「阿吽の呼吸の気の禊によって生じた武の兆しは、世の泥沼から蓮の浄い花咲く不思議なる巡り合わせのように、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ。すなわち魂魄の結合の武の本義を現わす。」
つまり、合気道の技は魂魄を結合してつかわなければならないということである。魄(物の力)だけでは力は少ないし、魄がしっかりしていなければ魂が十分に働けない。魄と魂がお互いにうまく結び合って働かなければならいのである。魂魄の結合とは「心で身を自由自在に結ぶ」とあるように、心と体の結合であるから、まずは魂魄を心と体と考えればいいだろう。さらに、この魂魄の結合武の本義であるといわれているわけだから真の武の合気道では、この魂魄の結合は必須であると自覚しなければならない。

正面打ち一教で右足が地に着いたら右手で相手の手を制しながら腹をウ声(うの言霊)で外旋で返す。である。体(足、手)が十分地に下り腹が返ると、腹が反転してになり、左手が相手の二の腕を抑える。この左手の動きは肉体的で意識しての動きではなく、無意識で自然の動きである。つまり、魂の働きであると感得する。左手が魂の力で働くので左手は相手の二の腕に密着し、体の力が無駄なく流れるので、相手の力は抜け、相手を制する事ができるのである。
この魂の力が出るためには体の魄をしっかりとつくり、つかわなければならないのである。
この魂魄結合で正面打ち一教が出来るようになると、大先生が云われている「泥沼から蓮の浄い花咲き、不思議なる魂の花が開き、技の実が結ぶ」を感得でき、合気道の技をつかっているという気持ちになれる。

この魂魄の結合で、これまで苦戦していた胸取り、肩取りをやればいいようだ。大先生や大先生の直弟子であった養神館の塩田剛三館長が胸や肩を取らせてポンポン投げたり、抑えておられたのはこの魂魄の結合であるように見る。これから挑戦してみることにする。