【第861回】 神生み島生み

前回前々回から、合気道の技は神の働きにお任せるようにならなければならないと書いている。神様が働いてくれるためには、神が生まれるための環境をつくるために禊ぎをする必要があることも分かった。
そして更に、合気道は神生みだけではなく島生みも必要であると次のように教えていることが分かったのである。「合気道は精神(霊)科学であります。精神科学は、天の浮橋に立って、まず島うみ神うみから始まるのです。」(武産合気P.43)。しかも、この島生み神生みは伊邪那岐と伊邪那美の働きが基になるということ、「合気はこのナギナミ二尊の島生み神生みに基礎根源をおいているのであり、これを始めとしているのである。」(武産合気p.83)というのであり、大先生は「合気に志す方々は、この神生み島生みをよく学んで頂きたい。」(武産合気P83)と言われているのである。

大先生がしっかり学んで頂きたいといわれるからには、この神生み島生みは合気道にとって非常に大事であるということに他ならないから、何としても身に着けなければならない。
しかしどうすればこの神生み島生みを身につけることができるかということであるが、伊邪那岐、伊邪那美とあるように古事記に関係していることは間違いないことは分かる。古事記には多くの神が出て来るし、伊邪那岐と伊邪那美も島と沢山の神を生んでいる。
伊邪那岐、伊邪那美は日本の天地創造(天地開闢)の最後に生まれた夫婦神で、島生み(国産み)、神生みの大役を果たした創造神であるという。

世界の最初に生まれた造化の三神(天之御中主、高御産巣日、神産巣日)はイザナギとイザナミの二柱に、まず海に漂う国土を固め、大地を作るように命じ、天沼矛(あめのぬぼこ)を与えた。
伊邪那岐と伊邪那美は高天原から地上へとつながる天浮橋に立ち、天沼矛でどろどろした海をかき混ぜる。その滴がぽたぽたと落ちてオノゴロ島になったとある。伊邪那岐と伊邪那美はそのオノゴロ島に降りて夫婦の誓いの儀をおこなって結婚、最初の子・ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)が生まれた。

伊邪那岐命・伊邪那美命はさまざまな神々を生み出した。
伊邪那美は日本という国(島々)を生み、太陽・月・火・土・金・水等々、ありとあらゆる神々を生み出した母神様であるという。また、伊邪那岐は伊邪那美とともに日本の国土となる島々や川、風、野などの森羅万象の神々を産んだ神という。

この伊邪那岐は伊邪那美から島生み神生みを学ぶわけだが、古事記だけでは難しい。古事記と布斗麻邇御霊である。所謂、フトマニ古事記である。
これを大先生は「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・。」と教えておられる。
つまり、フトマニ古事記に則って技と息と体をつかえば神生み、島生みができるということである。とりわけ、島生みは具体的に記されている。
布斗麻邇御霊はであるが、この内の伊予の二名島、筑紫島、大八島國が島(国)である。この御霊の営みに合して技、息、体をつかえば島が生まれるのである。島とは、合気道では体であると思う。は腹、は胸、は体全部(含む首、頭)であると考える。

しかし、ここには残念ながら神生みのかたちはない。それでは神は生まれないのかというとそうではない。古事記に合わせてみると神は生まれている。
例えば、イザナギとイザナミはオノゴロ島に降りて夫婦の誓いの儀をおこなって結婚して、最初の子はヒルコが生まれたことである。ヒルコとは不完全ということである。技で云えば不味い技であり、失敗作である。この失敗作は、伊邪那美が先に活動したのがいけなかったという教えである。男性・陽・火 が先で、女性・陰・水 は後でなければいけないということである。これを布斗麻邇御霊では、伊邪那岐のが先で、伊邪那美のが後と示している。
また、古事記には、伊邪那岐は黄泉の国と地上との境・黄泉比良坂(よもつひらさか)の出口を大岩で塞いで逃れましたとあるが、この大岩は頑強な肉体であり、霊魂の土台となるものだと考える。

伊邪那岐・伊邪那美はさまざまな神々を生み出したとあるが、合気道的に換言すれば、伊邪那岐・伊邪那美はさまざまな技を生み出すということになろう。
神を生み、技を生み出していくには伊邪那岐・伊邪那美に働いてもらうようにすることであろう。