【第858回】 フトマニ古事記と合気の技

大先生は合気の技はフトマニ古事記によって生み出していかなければならないと、「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません。」(武産合気 P.77)と言われている。
フトマニとは布斗麻邇御霊であり、宇宙創造と営み、大宇宙の法則であると考える。
古事記とは日本最古の歴史書であり、合気道の法典であり、「合気は古典の古事記の実行」であるといわれる。
ここで一つ気になるのは、フトマニ(布斗麻邇御霊)と古事記の関係である。何故、フトマニと古事記が一緒になるのかということである。
調べてみると、言霊学研究者で国学者の山口志道(1765−1842)は、伝授された『稲荷古伝』が手掛かりとなり、山口家に伝わる『布斗麻邇御霊』を古事記神代巻に照らしてみると、これが天地の水火(いき)の教えであることを悟った。これが古事記と布斗麻邇の出会いであるという。
山口志道の『水穂伝』には「布斗麻邇御霊」と名づけられている七つの図像が示され、そしてこの図像を使って『古事記』神代の巻の解釈を展開してい る。この『水穂伝』は大本教の出口王仁三郎にも大きな影響を与え、大先生もこれをフトマニ古事記として学ばれたと思われる。

大先生は、布斗麻邇御霊を技に表さなければならないと、「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・。」(合気神髄 P153,154)と教えておられる。
ではどのように布斗麻邇御霊を技に表せばいいのかということになる。しかも、古事記との関係で技にするのである。

上記の文章の中に、「これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・」とあるが、これが一つのポイントである。つまり。古事記ということになる。
イザナギ、イザナミの大神に関して、古事記には次のような文章がある。一寸長文になるが引用することにする。
「伊邪那岐命(イザナギノミコト)は「わたしの体は段々と出来あがって、余ったところがある(=男性器のこと)。そこで私の余ったところを、お前の足りない所に挿して塞いで、国を産もうと思うのだが、どうだろうか?」と言うと、伊邪那美命(イザナミノミコト)は「それがいいですね」と答えました。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)は言いました。
「それでは、私とあなたでこの天御柱(アメノミハシラ)を互いに反対に回って会って、まぐわいましょう」。そう約束して「あなたは右回りに、私は左回りに行きましょう」と回ったら、伊邪那美命(イザナミノミコト)が先に「あぁ、なんてイイ男なんだろう!」と言い、その後に伊邪那岐命(イザナギノミコト)が「あぁ、なんてイイ女なんだろう!」と言いいました。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)は言い終えた後で「女が先に話しかけるなんて不吉だ」と言いました。
それで二柱が床で交わって作った子は水蛭子(ヒルコ)でした。
この子は葦で作った船に乗せて流して捨ててしまいました。
つぎに淡島(アワシマ)が生まれましたが、これも子供とは認めませんでした。

そこで二柱の神が相談していうには、
「今私たちの生んだ子は不吉であった。やはり天つ神の所に行って申しあげよう」と言って、ただちに一緒に高天原たかまのはらに上って、天つ抻の指図を仰がれた。
そこで天つ神の命令によって、鹿の肩骨を焼いて占いをして仰せられるには、「女が先に言葉を発したので良くなかった。また帰り降って、改めて言い直しなさい」と仰せられた。

また地上に降りて、天の御柱の周りを前と同じように回り、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が先に「あぁ、なんとかわいい少女だろう」と言いました。
次に伊邪那美命(イザナミノミコト)が「あぁ、なんてすばらしい男性でしょう」と言いました。そう言い合って交わって出来た子は淡道之穂之狭別島(アワジノホノサワケシマ=淡路島)でした。次に産まれたのは伊予之二名島(イヨノフタナシマ=四国)でした。」

これは合気の技と大いに関係があり、大事な教えということになる。それを説明する。
布斗麻邇御霊の伊邪那岐命(イザナギノミコト)の図像はであり伊邪那美命(イザナミノミコト)はである。天地と結んで技をつかう際、掴ませた手、打ってくる手を迎えうつ手(腹、足も)は、先ず息を吐きながら腹を横(凹)につかわなければならない。横につかった後に縦につかうのである。正面打ち一教も、片手取り呼吸法でも横の伊邪那岐、そして縦に伊邪那美とつかうのである。この順序で動かなければいい技にならず、ヒルコの技になってしまうのである。
技は布斗麻邇御霊の動きでつかわなければならないが、フトマニ古事記でもつかわなければならないのである。