【第848回】 光ある妙技をつくる道

合気の道を精進すべく、日々修業を続けているが、時としてこれでいいのか、この道でいいのかと迷う事がある。自分がやっていることが正しいのか、もしかしたら間違っているのではないか等と思ったり、また、これは間違いないという確信が持てない場合などである。
そんな時は、大先生の教えに帰ることにしている。大先生にかってお聞きしていた事、大先生が話されたり、書かれた『合気神髄』『武産合気』等に戻るのである。そして己がやっている事、つまり、技づかい、体づかい、考え方等が大先生の教えに従っているのか、反していないかを確認するのである。

先日、日課の禊をしているとき、ふと合気道とは何か、何を目指す道なのか
と思った。合気道は長年やっているし、合気道とは何か、合気とは何か、道とは何か等は一応分かったつもりであったが、合気道は何かの疑問がまた出てきたのである。まだまだ合気道を十分わかっていないということである。

そんな時、毎日読んでいる『合気神髄』で合気道は光るある妙技をつくる道であるという教えに遭遇した。
その教えは、「合気道は自己を知り、宇宙万世の妙精を自己に吸収し、大宇宙の真象に学び、理法を溶解し、法を知り、光ある自己の妙技をつくる道である。」(合気神髄P.61)というものである。
そして合気道の修業はこれでなければならないと再確認した次第である。

これまでこの教えのように稽古をしてきたつもりであるが、明確に意識せず、曖昧な解釈と実技の稽古であったと反省している。
故に、まずは、この大先生の教えを、一つ一つ吟味して解釈してみることにする。

これからも、ますます光ある妙技をつくる道を歩いていくことにする。