【第800回】 頭を禊ぐ

これまで手、足、腹、胸、目の禊ぎをしてきた。ここでの禊ぎとは肉体的な禊ぎと精神的な禊ぎである。肉体的な禊ぎとは、その箇所を強靭にし、柔軟にし、そしてカスを取ることである。また、精神的な禊ぎとは、その箇所の邪気を払い、本来の働きをしてもらうようにする事であると考える。
これらの禊ぎは、いづれも息によるものであるが、息がつかえるようになると、次に息が気になるはずである。

上記にあるように、これまでに体のほとんどの部位は禊がれることになり、それによって技をつかうようになってきた。後は、稽古を繰り返して精度をあげていけばいい。
しかし、まだ一か所の体の部位が残っている。ここも禊がなければならない。それは頭である。
何故、頭を禊がなければならないかに気づいたかと云えば、布斗麻邇御霊とアオウエイで技と体を練っていくと、最後の部位が頭となり、この最後の頭に上手く働いてもらわなければならないことが分かるのである。イの言霊で頭に働いてもらうのである。(詳細は、合気道の思想と技 第800回「イの言霊と頭」を参照)

腹から上ってくる気を、息を吸って胸を拡げて胸に入れ、それを頭に流し、頭をその気で満たす。そして頭は気で充満し重くなる。この重い頭をつかって技を収めるのである。一教や坐技呼吸法の最後の押えや四方投げや入身投げの投げは、この頭をつかってやらなければならない。頭をつかわなければ、恐らく相手の力で弾き返されてしまうはずである。
この一教や坐技呼吸法の最後の押えを、頭をつかってやるとわかるはずだが、相手を抑えている己の手に力(気)を入れれば入れるほど、頭の中の気が張り、頭が活性化すると感じるものである。
また、逆に、頭から気を己の手に送ることも自由にできるし、また、頭から己の体の思う部位に気を送る事ができる。頭が体のかしら
なのである。

なお、頭は手足同様に右、左と別々に働いているということである。それが分かったのは、私自身の頭の不具合(肉体的)からである。少し前から、頭の左側だけにかゆみを覚えたり、ふけが出るのである。稽古をするとそれは治まったり、忘れてしまうが、体を動かさないと悪くなる傾向にあるのである。
その原因とその解決法が頭の禊ぎだったのである。禊ぎをすれば、ふけやかゆみが無くなったり、減少するのである。その程度は如何に体、とりわけ手をつかうかに掛かっているようなのである。
そこで、何故、頭の左側にだけふけやかゆみがあるのかというと、体の左側をあまり使っていなかったことになることが分かったのである。確かに、左手で鍛錬棒を振ったりすると大分いい。これから道場での稽古でも、もっと左側の手や足や腰や胸、そして頭をつかうようにしたいと思っている。また、頭の左で手や足や腰や胸をつかうようにしたいと思っている。

これが頭の禊ぎ、頭を禊ぐということではないかと考えている。