【第770回】 合気道、真の合気道、武産合気

大先生は晩年には、合気道は変わらなければならないとよく言われておられた。私の入門した(1961年)当時の稽古を振り返ってみると、まだ大東流合気柔術のような技の幾つかを稽古していたし、柔術的に相手を技と力で制する事が稽古の主眼であったように思える。強い者、上手い者勝ちである。
大先生は勿論のこと、当時の大先生の直弟子であった先生方も、大東流合気柔術の技には精通されておられたし、それで相手を制することにも長けておられたと思う。例えば、有川定輝先生などは、晩年、「大東流合気柔術の108条の技はすべて出来る」と言われていた。

しかし、大先生はその柔術的な影を少しでもなくすべく研鑽されておられたのが、今になるとよく分かる。大先生がどんどん変わられようとされていたし、事実、変わられておられた。例えば、私が入門した当時には、映像にもあるように、杖を2,3人に押させて、びくともしないことを我々稽古人に見せて下さっていたが、段々と流れるような動きの杖や技に変わってきた。

ある稽古時間に大先生が道場にお入りになり、内弟子に諸手を掴ませて諸手取呼吸法をやろうとされた時、「もし、少しでも力が入ったら、合気はやめじゃ」と言われたのである。我々、どうなるかと拝見していると、さっとやられてそのまま道場を出て行かれたのである。我々は、力が入ったのか、合気道が続けられるのかと、お互いに顔を見合わせたが、合気道は何も変わらずに続いた。
今思うに、大先生は合気道を変えるべくご苦労されておられたのである。

さて、大先生は合気道をどのように変えようとされておられたのかを、見てみたいと思う。大先生晩年の5年間の御姿や技の変化を思い出し、そして大先生の教えが凝縮している『武産合気』『合気神髄』を駆使して見つけてみたいと思う。

大先生は、合気道は、合気道から真の合気道、そして武産合気に変わらなければならないと教えておられると思う。
大先生は“合気道”を、

と言われている。
思うに、この合気道の段階では、己が中心で、己に自然や宇宙を取り入れ、気魂力を養成し、心や体をつくるという段階であるということだと考える。

因みに、合気道とは合気の道であるが、その道で求める“合気”を、 と教えておられるように、これで合気も己主体・己中心の稽古で自分自身をつくるこという事がよりわかるだろう。

大先生はこの合気道・合気の道の段階から次の“真の合気道”に変わらなければならないといわれている。
“真の合気道”を大先生は次の様に教えておられる。 つまり、“合気道”が己を中心に宇宙や周りを見るのに対し、宇宙が中心になり、宇宙から己を見るということになるわけである。宇宙の意志、宇宙の営みに己の営み、心、そして技が一致するよう、反しないようにしなければならないということである。

そして、真の合気道を武産合気に変えていかなければならないのである。
“武産合気”とは、 つまり、古事記の教えの実行こそが武産合気であるということである。フトマニ古事記の実行である。

また、武産合気は合気の上、つまり“合気“を身に付けた上で行わなければならないと、次の様に教えておられる。 “合気”(合気道)の次に、合気を土台にして武産合気に変わらなければならないという事である。つまり、合気(道)をしっかりやらないと武産合気に変われないという事である。
“合気”(合気道)の次は“真の合気道”でもあるから、恐らく、“真の合気道”とは“武産合気”と云うことになるのではないかと考える。

今の段階では、合気道・合気は、合気道から真の合気道、そして武産合気に変わらなければならないという事であると考えているところである。